ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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『いのちのディスカウント』

ウサギの赤ちゃん(子ウサギ)の選び方と飼育のポイント!餌・しつけは ...
『うさぎ、半額セール。』

 

先週末、ペットショップに行った。

 

そこで見つけた、うさぎのゲージに張り付けられたポップ。

 

うさぎ、半額、7500円。

 

安いな、という安易で率直な感情と同時に

なんだか胸の奥がすごく締め付けられた。

 

いのちに、値段がある。

そして最初につけた値段からもディスカウントされて、

この子うさぎは買い手を待っている。

 

複雑な気持ちになった。
何を隠そう、自分もうさぎを買いにペットショップに来ていた。
いざ買う段になると、自分のお財布と相談が始まる。


目の前にあるいのちを、お金というフィルターを通してみてしまう
自分の心の汚さに嫌気がさした。

 

モノを買うとはまた全然違う感覚。
買って満足して終わりじゃない。むしろそこから家族としての生活が始まる。

その第一歩がお金を払う、という行為なのだけれど、
いざその行為を俯瞰してみた時に、
自分が、人が、お金という1つの基準をもとに、いのちを選んでいる、
そんな感覚に襲われて、すごく罪悪感を覚えた。

(もちろん判断材料はお金だけではないのだけれど)

 

買われる子がいる一方で、買われない子がいる。

そして買われない子は、自分の意思とは全く関係のないところで、
ディスカウントされ、また新たな買い手を探している。

 

もちろんすぐその場で、その子のすべてが決まってしまうわけではないけれど、
買い手が見つからないまま、ずっと売れ残ってしまう子はいずれどうなるのだろう、
と考えると、人が勝手に作った流通システムという仕組みの中に動物を閉じ込めてしまうことの恐ろしさを覚えた。

 

結局、その半額の値札がついた子は買わなかった。
その隣にいた子うさぎを飼い、今家で毎日お世話している。

自分もこの子を選び、その半額の子を選ばなかった、一人の"消費者"ではあるの
だけれど、だからこそ、自分が選んだこの子だけは最後の最後までそばにいて
世話をしてあげたい、と心の底から思う。

 

半額になったあの子はいま、誰か別の飼い主のもとで、幸せに暮らしているだろうか。
もしかしたらまだ、店頭にいるのかもしれない。

 

ペットショップにはとても残酷な現実がある。

そのことを知る経験になった。もちろん、それだけで満足して、
思考を止めてはいけない。

 

ペットショップにいる動物がどこからきたのか。どこへいくのか。
時には残酷な現実も知ること、考えること。


自分ではいますぐどうしようもできないことがとてももどかしいのだけれど、
今回の一件で、動物を飼うということ、飼い主になるということが
どういうことか、そのずっしりとした重さを感じる経験になった。

 

ことばにしない、ということ。

The Vagabond | Charlie Chaplin in "The Vagabond" ( Charlot m… | Flickr
説明。

説得。

質問。

仕事のどんな場面でも「言葉にすること」は必要不可欠だったりする。

 

今日の自分ができたことは何か。

もっと改善できるところは何か。

今の自分はどう感じていて、今後どうしていきたいか。

おさまりのいい言葉を見つけたときにとてもすっきりする。

 

一方で、このテレワーク渦で、自分と向き合う時間が増える中で、

圧倒的に言葉にならないモヤモヤやイライラ、自分の中のセンシティブな感情に

向き合う事がとても増えているように思う。

それを全部言葉にしようと、なんだか、気持ちがいいようで、

どこか違う、本当に自分がそうは思ってはいないけど、自分が最近使った

言葉だけで自分の気持ちを紡いでしまうことに対する違和感。

 

そこでふと思ったことが、「全部言葉にする必要なんてないんだ」という至極

当たり前のこと。考えることを放棄することとは違う。でも自分のように

内向的な人間は、誰に言われなくても、勝手に自分と対話を始めてしまうのだから、

考える過ぎるより、もっと自分の五感、センスに任せて自然体でいたい。

 

この先自分は何をしていたいか。どうなりたいか。

答えを出すのは難しい。「ことばにする」のはそれに近づく一つの手段だと思う。

でも、ことばにしている間に「いま」という瞬間の前提は、予想以上のスピードと想定外のベクトルで変化しづけている、と考えると、ことばにするだけでは遅すぎるし、すぐにことばが風化してしまう。陳腐化してしまう。

 

だからこそ、「いまここ」の自分を、自分の中の自分と、

ちょっとだけ遠くの、自分を客観的に見つめる自分と話しながら、感じながら、

前に進んでいければ。

 

もちろん、前に進むだけでなく、その日だけみたら後ろ向きになっていることもあるかもしれないけれど、とにかくその場、その場おかれた場所で咲いてみる精神で、
死ぬまでの暇つぶし程度の感覚で、楽観的に生きていくのが吉。

 

こんなことを書いていると、とても病んでいるようだけど、とても元気です。

むしろ病んでいるときはもっと毒々しい、とげのある、ことばの使い方をしてしまう
ので、今日はとても平和な一日だった証だということだとおもう。

 

「ことばにすること」

ブログで文章を書きながら、ことばにしないことの価値について書くのはとても矛盾しているようだけど、自分の中では「ことばにすること」「ことばにしない」ことを意識的に両立させることで、自分の中から膿をだしているような、そんな感覚がある。

Think too much, Feel too Little | 映画、名言、ムービー
『わたしたちは考えすぎて、感じていなさすぎだ。』
Charlie Chaplin "The Great Dictator" 

 

書きたかったのは、ことばにしすぎるのもよくない、というバランスの話。

いま、自分のこの気持ちをことばにせずに、自分の心のなかだけで味わってみる。

 

味わいたくないような、苦さがあるなら、それはそのままそっと心の片隅に置いておけばいいのだし、それを無理やり頭の関心毎にしてしまうと、どんどん頭にも、
心にもそれがこべりついてしまって、どんどんネガティブになる。

よく「ポジティブに考えよう」という人がいるけど、もともと内省的でネガティブなひとにそんなアドバイスは無用だとおもう。ポジティブに考えたい、と思うようなトリガーになるのはだいたい(その人にとって)ネガティブな出来事なわけだし、長年積み重なったものの考え方はなかなか変わらない。

 

だから、もう、そういうときは、そういうときだけは、考えなくていい。

「あー嫌な気持ちになってるわ、自分」くらいで言語化するのをとめておいて、

あとは自分の気持ちを観察する、くらいのスタンスが一番気が楽だ。

少し時間がたってから振り返ってみて、それをむしろ面白おかしくエピソードとして

話すくらいが内省的な人にとってはよい処方箋だとおもう。

 

大久保信克 on Twitter: "Life is a tragedy when seen in close-up ...

Charlie Chaplin "Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long shot."
『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』

(たくさんある、喜劇王チャップリンの名言の中でも、一番好きなことば)


つらつらと書いていて、結局どこに着地するのかも見えなくなってきたのだけれど、

今日は「ことばにしたかった」一日だったんだと思います。明日読んだら、黒歴史な内容であったとしても、今日いま、この瞬間の気持ちを吐き出せたので満足して、眠りに落ちます。

 

かとう

 

 P.S. 久々のブログすぎて、文体が定まらないけど、これから落ち着いた文体をさぐってゆきたい。

 

 

 

【かとけい的妄言】社会人1年目で意識したい3つのこと

こんにちは、山の上大学『元』研究室住人のかとけいです。

ブログ丸々1年半くらいおやすみしておりました…。

理由はいろいろとあるのですが、就活・インターン・学内/学外活動にエネルギーを割きすぎてなかなかブログにエネルギーを割けなくなっていました…。

 

この1年半の出来事の棚卸(反省)についてはまた後日ブログで書くことにして、
復帰1回目としては、「社会人1年目で意識したい3つのこと」というテーマでお送りしたいと思います。


学生と社会人の狭間で

まずこのテーマを語るにあたって、「社会人って何だろう?」というところから始めなければなりません。実はこの「社会人に必要な要素」みたいなテーマは就活生ならおなじみのグループディスカッション(通称GD)でも頻出だったりして、やっぱり「定義づけ」から話を始めるんですよね。笑

 

「社会人」ってなんでしょう?

会社で働いている人でしょうか?

自分の稼ぎのみで生きていける人のことでしょうか?

学生でない人すべての総称でしょうか?

 

…実をいうと僕も答えが出ていません。まだ社会人になってないし。笑

いきなり拍子抜けでも申し訳ないんですが、ここでお伝えたかったのは「社会人ってあいまいな存在」ということです。

 

小学校、中学校、高校、大学と敷かれたレールの上を走ってきた僕にとって、社会人はレールの上に乗っているようで、乗っていない未知の存在です。かなり前の記事でも書きましたが、就活のタイミングで私たちは『何者になりたいか』を問われます。もし仮に『何者になりたいか』が決まっていたとして、そのためのレールは用意されているでしょうか?

 

答えはNo。自分たちで自分たちの道を作っていくことが必要そうです。
もし僕たちの考える「社会」が珍獣も猛獣もいそうなサバンナで、待っていても誰も何も与えてくれない厳しい環境なのだとしたら、僕たちはそのサバイバルな環境下において強くしなやかに生きていく術を身に着けていくことが必須ではないでしょうか。

 

今回は「社会人」というのを「自らのアイデンティティの獲得に向けて、険しいサバンナの中で、道を作り、実際にその道を歩く存在」とやや悲観的に定義したうえで、「社会人1年目を生きていく上で意識したい3つのこと」を書いていこうと思います。

 

1. タフになる

まず最初に僕が心がけたいコトとしては、肉体的にも精神的にもタフになることです。量が質に転化すると考えると、まずはやはり物量をこなせるだけの基礎体力づくりが最も大切だと感じています。

 

ここでいう「タフになる」というのは「長時間労働やストレスフルな仕事にとにかく耐えに耐えまくってマッチョに働く」という意味合いではなく、「攻めも、守りも、休みも意識的にできる器用さを得る」ということ。

 

今日始まって明日終わるようなタスクであれば、徹夜など多少無理をしてクオリティ追求に走ればいいのかもしれませんが、1か月や1年といった長期スパンで毎日限界まで走ると絶対にどこかで体や心が壊れるのではないかと思います。特に僕は割と心配性というか、根詰めて考えてしまう事が多いので、気づけば朝から晩(というか翌朝)まで何かしていた、ということがよくあります(研究室の住人といわれる由縁がここにあります)

 

「限界まで頑張る」「限界を超えても頑張る」という「攻め」の姿勢は大切だと思いますが、常に限界で頑張り続けては自分が限界で出せるパフォーマンスも下がる一方になるのではないでしょうか。「今がスパートをかけるとき」というタイミングを見極め、それ以外は
①「守る」
=グレーにしてよさそうなところはグレーのままに。
 期待値がそれほど高くないものは60%くらいでエコに頑張る

②「休む」

=頑張る必要のないところはやらない、プライベートな時間を確保する。

というこの2点を特に意識したいと思います。

 

そのためには、「今自分の体・心がどんな状態にあるのか、何を欲しているのか」と自分を客観的に見つめる機会が必要です。自己分析は就活だけのものではなく、常に自分の興味・志向・知識・スキル・心理状態は変化し続けるという意味で、定期的にやっていきたいなと思います。

ちょっと矛盾するようですが、自分の限界値も限界まで頑張りぬかないとわからないという意味でそういう死線をくぐるような体験が1年目でもできたらいいなと思っております。笑

 

2. バカになる

2つ目は自分の無知さ(=バカさ)を知って、むしろそれを価値に変えていければと思っています。

「無知さを価値に変える」というのはどういうことかというと、「何も知らないからこそ持てる視点があるはずなので、恥じらいを捨てて勇気をもって行動・発言する」ということです。

 

僕がマレーシアに留学していたときに実践していたことなのですが、「何も意見がなくてもとりあえず授業中に一度は手を挙げて質問する」ということをしていました。
英語がわからない、専門知識が不足しているというハンデを持つ中で、他の人をアッと驚かせるような発言はなかなかできませんでした。それでも、何度も何度も質問をしていると「今日は何も質問しないのか」と先生から質問を求められたり、10回に一回くらいはマシなことが言えるようになっていたりすることに気づきました。

 

今考えてみると、わからないことを「わからない」と真っ先に言える事は自分の意思表示をする意味でも、他の人に気づきを与えるという意味でも大切だったように思います。他の人にとっての「当たり前」は自分にとって「当たり前」ではないし、次に新しく会議に入ってくるメンバーにとっても「当たり前」ではないということを気づかせられるからです。

 

これは「ポジションを取る」という意味でも重要な気がしています。「あいつは毎回質問するキャラなんだ」と記憶してもらえるのは新人である自分にとっては大切なこと。特に新人のうちは「新人」というタグが自分に付与されているわけなので、この「新人」というタグを活かしながらも、いかにタグに+αの部分を加えられるかが勝負なのではと。

 

「ポジションを取る」、これは何も強者の特権ではないと思うのです。

研修や配属を通して、同期や上司と比較して自分の無力さを悟ったときに、「優秀なあの人がやりたがらないこと」が何かを見つけて、それを率先して、泥臭くやる。自分が1年目のときに挫折したことを覚えておいて、来年同じ思いをしている後輩にどうすればうまくやれるかを伝える。優秀でないからこそできる、自分が無知で無力であるからこそできる、「自分の価値」がそこにあるような気がしています。

 

3. ハングリーになる

これが今の自分に最も欠けているものだと思います。

もっと自分のやりたいことを主張する、そのために本気になる、仲間を巻き込む。

 

与えられた仕事を黙々とこなすことも時には大切だと思いますが、常に自分にとってどんな意味がある仕事なのかを考えて、一でも多く主体的に学んでいく必要があるのではないでしょうか。一見意味のなさそうな仕事であっても、自分の心がけ次第では意味のある仕事にすることが仕事を楽しくやっていくコツなのではないか、とろくに働いたこともありませんが思っております。笑

 

もっと言えば、世の中の面白そうで華やかに思える仕事の90%は実際は楽しくない泥臭い仕事だけれど、それを楽しいものに変えた人が持続的に・効率的に仕事をできているのでは、というのが今のところの僕の仮説です。

 

そしてさらに僕の妄想を広げて、じゃあどう楽しめるのか、と考えていくと

①継続:一定期間はつまらなくても面白くなるまでやり続けること

②ソーシャル化:自分ひとりではなく、自ら他者を巻き込みながら前に進んでいく

③目標の見える化:ゲームの能力パラメータのように自分のレベル・進捗を正確に把握できるようにする
④ゲームチェンジ:自分次第でその仕事の攻略の仕方・難易度を変えられる

…などがあげられると思います。僕はゲームが好きでして、このへんはゲームを例にとって考える事があるのですが、実際、学問分野でゲーミフィケーションという分野があり、ビジネスにも応用されている知識体系になっているようです。今絶賛勉強中です笑

 

 

 

スーパーベターになろう!

スーパーベターになろう!

 

(この辺は長くなりそうなのでまた別の機会に譲ります)

 

ちょっと話が取っ散らかってきたので無理やりまとめると

「ハングリーになる」ためには 
①マインド:仕事は自分次第でよくも悪くもできるものであるというマインドを持つ 
②行動:楽しくない仕事を楽しくするためのありとあらゆる工夫をする・そもそも楽しくなるまでに圧倒的な時間をかける 
という2つが大切な気がしております。

そして個人的には仕事に取り組む際には「できる/できない」「向いている/向いていない」という判断軸の前に「やりたい/やりたくない」の判断軸をもって、1mmでもやりたいと思えることはまずはやってみるという心がけでいきたいと思っています。というのも、ほとんどの仕事をやったことがないんだから、やる前から「できる/できない」「向いている/向いていない」では判断できず、とりあえずやってみることで「できる/できない」の判断軸を磨いていきたいと思うのです。

 

 “口動力”のある人ではなく、“行動力”のある人になる

さて、僕が今までつらつらと書いてきたことは、社会人として働いたことのない学生の考える、いわば戯言、妄言のようなものです。しかしながら、上に書いたように「バカになって」わからないこともわからないなりに考える・発言することが大切だと思ってブログを書いております。

 

ただブログを書くだけで、口にするだけで終わらせてはダメ。
批評家になっちゃダメ。それがこの一年間での学びでもあります。

 

僕はこうやって文章にして自分の意見を語ることが好きです。ただこうやって言語化する、口を動かす“口動力”を磨くことに特化したコメンテーター、批評家になりたいとは思いません。僕が目指したいのは口を動かしながらも実際に行動する社会人です。

 

今回書いた3点、①タフになる ②バカになる ③ハングリーになる、

肝に銘じて、頑張っていこうと思います!!

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今回は「社会人1年目で意識したい3つのこと」というテーマでお送りしました。

みなさんの「社会人になるうえで心がけたい(心がけていた)こと」は何でしょうか?

 

これから社会人になる、あるいはもうすでに社会人の方の貴重な意見をお待ちしております!「けしからん!」「当たり前すぎる!」「見当違いも甚だしい」など何でもWelcomeです!

 

かとけい

 

 P.S. 久々にブログ書くとやっぱり時間かかる&まとまらないわで大変ですね。笑

でもブログって自分のわかってるようでわかってない部分(潜在的な学び)をより掘り起こすっていう意味ではとても良いように思いました。また今後もコツコツとブログ書いていこうと思います!

東京に来て、「就活に正解はない」なんて当たり前のことに気づいた話。

現代のホモサピこと、かとけいです。

いま、東京にきています。

 

インターンシップしてました。

インターンの感想を一言でいうと、「モヤモヤした。」

 

  • 東京は「個性的」な人がいっぱい
  • インターンシップ、苦戦してます。嘆いてます。
  • 何が「正解」で、何が「間違い」か
  • まとめ

 

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コンプレックスで悩むすべてのひとへ。

毎度おなじみ現代のホモサピエンスことかとけいです。

本日はいつもとは違う、少し深―――いテーマでお送りしたいと思います。

今日は何か身体的・精神的なコンプレックスを抱える人たちとシェアしたいことがあります。

 

「ぼくの、わたしのコンプレックス。」

皆さん、人には言えないコンプレックスってありますか???

 

・・・僕にはあります。それはずばり「薄毛」です。笑

弱冠22才にして、貫禄のハゲっぷりです。ハゲ、圧倒的ハゲです。

 

 

自分がハゲてきていることに気づいたのは高校生1年生のときでした。

何故だかわかりませんが、日に日に髪の毛の量が減っていったのでした。

もちろん当時はそれがショックで仕方がなく、自分の人生に絶望しました。

電車に乗ると見知らぬJKに「あのハゲ、キモくない・・・?」と心無い言葉をかけられることもありました。

それが当時はつらくて、つらくて。

でもそれでふさぎ込んでいてはいけない、と思い、自分の薄毛を自虐ネタとしてみんなにカミングアウトして回ることにしました。

それでくすっと笑ってくれる人もいれば、本気で自分の髪の毛の心配をしてくれる人もいて。

 

自虐ネタで笑いがとれていても、心の奥底ではやはりまだコンプレックスのままでした。

どうしても自分の見た目が気になってしまい、自分に自信が持てないし、精神的にやられている時には本当に自殺したいとさえ考えた時もありました。

 

見た目なんか、問題じゃない。

もちろん、今も現在進行で薄毛化は進行しています。

ただ、ずっと塞ぎこんでいた時期よりは自分に少し自信が持てているのです。

 

「もうハゲてもいいじゃないか、ハゲたって死ぬわけじゃない。」

そう開き直りだしたのです。髪の毛がなくたって生きていける。

「死ぬ」という選択肢は自分がそれに強烈に劣等感を感じているから出てくる。

そう気づいてから、もう自分の薄毛は前より気にならなくなりました。

 

そしてある時、こんなことを自分で言いだすようになりました。

「世界一優しくて世界一明るいハゲになる」

 

これは半分本気で、半分冗談です。

たとえ自分の髪の毛がなくたって、自分の内面が悪くなるわけではありません。

頭がピカピカ明るいなら、性格も明るくしていきましょうよと。

「自分はハゲだからさ・・・。」なんて下を向いてても誰も寄ってきません。

自分の内面を悪くしているのは、他でもない、「自分」なのです。

 

 

とはいったものの、今だって別に「世界一優しくて、世界一明るいハゲ」にはなりきれていません。

一日中不機嫌で、ネガティブで卑屈になって他の人を不愉快にさせてしまう日もあります。

そんな自分を見つめなおして、「今のままではいけない。内面的に成長しないと」と自分に喝を入れて、少しずつ自分の悪いところを治していこうと思う毎日です。

 

『理想論に過ぎない。』けれど・・・。

「そんな理想論言っても、やっぱり見た目は大事」

そう思われる方もいると思います。僕もそれは否定しません。

 

 

「人は平等」そうは言うけれど、やはりその人の生まれた環境、育ってきた環境によって人は不平等の壁にぶち当たります。

 

僕は「薄毛」という決して薄くない壁にぶち当たりました。笑

それはもう髪の毛フサフサの人が羨ましくて仕方ない。笑

 

だけど、そんなことに不平、不満を言っていても仕方ないのです。

「あの人はお金持ちだから」「あの人はイケメンだから」

そんなこと言ってても自分が変われるわけではないのです。

 

自分が変わるためには、”自分で”変わる努力をしなければならない。

僕は薄毛だったからこそ、薄毛を自虐ネタにできたわけだし、それで「なにくそ」と思っていろいろと頑張れたこともあったわけです。

それに自分とは同じ境遇にあっている人の気持ちになって考えることもできるし、そんな人たちと手を取り合ってガンバっていきたい。

 

「デブ」「チビ」「ガリガリ」「ブス」「キモい」そんな心無い言葉をかけてくる人、あるいは口には出さないけれど差別的な態度を取ってくる人は、悲しいかな、たくさんいます。それでも、どうかそんな人たちに負けないでください。

 

そこでふてくされてしまったり、落ち込んでいたりしては彼らの思うツボです。「いつか絶対見返してやるからな」と思って頑張ることも大切ですが、その負のエネルギーが強すぎると、せっかくの自分がどんどん陰湿な性格になっていってしまいます。

 

「私ブスだけど、愛想のいいブスでしょ?」とむしろ笑い飛ばしてやってください。こんな切り返しができたら最高だと思います。

 

 

「薄毛はチャームポイントなので。」

・・・ここまでかなり強がったことを書いてきてしまいました。

 

最後にまた一つだけ強がりたいと思います。

 

「薄毛は僕のチャームポイントです。」

 

孫正義さんは次のように言っています。

「髪の毛が後退しているのでない。私が前進しているのだ」

 

『ハゲ』だからって、『ブス』だからって、『デブ』だからってどうってことありません。自分の心の持ちようでは毎日成長していけるのです。

 

薄毛に感謝、とまでは言わないですが、これからもっと自分を好きになれたらいいなと思います。

 

この記事を読んで、今コンプレックスで悩んでいる方が「今日も一日頑張ろう!」と思ってくれれば幸いです。

 

かとけい

 

P.S. これからも薄毛イジリしてくれると泣いて喜びます。

変に気を遣われすぎると逆に何だか申し訳なくなります。笑

「マズローの5段階欲求説」で就活の目線が変わる話。

皆さん、こんにちは。現代のホモサピエンスことかとけいです。

だいぶ間があいての更新になってしまいました。

 

最近はおかげさまで、長期・短期インターンシップの面接、トビタテ報告会の準備、就活に向けた情報収集など忙しくさせていただいております。

 

これからしばらく就活に関連したことを発信していきたいと思います!

とはいえ、私の性格上、結局学問チック(『衒学的』(げんがくてき)っていうらしいよ!)になるかもしれませんが、その辺はご了承ください。

 

 

  • 就活準備期のホモサピエンスは、考えた。
  • 何のために働くの??
  • 「何のために働くか?」改めて考えてみる。
  • お金をもらうため「だけ」の手段として働く?
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ホモサピエンス日誌。はじまる:日本に帰ったら、モーレツに本を読みたい。

どうもマレーシアからこんにちは改めまして、現代のホモサピエンスことかとけいです。久々にブログ書き始めようと思います。

 

マレーシアから帰ってきてはや2週間が経とうとしております。いやはやほんと時間が経つの速い。光陰矢のごとしやら何とやら。

 

「そろそろブログ再開させようかな・・・」なんて思ったものはいいものの、一体どんなテーマで始めればいいのかさっぱりわからない。うーん、エンタメ情報、就活、書評・・・。いろいろあるけど、初回にふさわしいのってなんだろうと。

 

最後の留学ブログのエントリーを書き上げたのは飛行機の中でしたが、空港に着くころにはすでに次のブログのネタを考えてました。そんな妄想にふけっていると、ちょうど本屋を発見し、とりあえず適当に本2、3三冊買ってみようかなと。

 

  • そうだ、本を読もう。
  • 日本から帰ってきて読んだ本は・・・
  • インプットの100倍、アウトプットする。

 

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