『いのちのディスカウント』
『うさぎ、半額セール。』
先週末、ペットショップに行った。
そこで見つけた、うさぎのゲージに張り付けられたポップ。
うさぎ、半額、7500円。
安いな、という安易で率直な感情と同時に
なんだか胸の奥がすごく締め付けられた。
いのちに、値段がある。
そして最初につけた値段からもディスカウントされて、
この子うさぎは買い手を待っている。
複雑な気持ちになった。
何を隠そう、自分もうさぎを買いにペットショップに来ていた。
いざ買う段になると、自分のお財布と相談が始まる。
目の前にあるいのちを、お金というフィルターを通してみてしまう
自分の心の汚さに嫌気がさした。
モノを買うとはまた全然違う感覚。
買って満足して終わりじゃない。むしろそこから家族としての生活が始まる。
その第一歩がお金を払う、という行為なのだけれど、
いざその行為を俯瞰してみた時に、
自分が、人が、お金という1つの基準をもとに、いのちを選んでいる、
そんな感覚に襲われて、すごく罪悪感を覚えた。
(もちろん判断材料はお金だけではないのだけれど)
買われる子がいる一方で、買われない子がいる。
そして買われない子は、自分の意思とは全く関係のないところで、
ディスカウントされ、また新たな買い手を探している。
もちろんすぐその場で、その子のすべてが決まってしまうわけではないけれど、
買い手が見つからないまま、ずっと売れ残ってしまう子はいずれどうなるのだろう、
と考えると、人が勝手に作った流通システムという仕組みの中に動物を閉じ込めてしまうことの恐ろしさを覚えた。
結局、その半額の値札がついた子は買わなかった。
その隣にいた子うさぎを飼い、今家で毎日お世話している。
自分もこの子を選び、その半額の子を選ばなかった、一人の"消費者"ではあるの
だけれど、だからこそ、自分が選んだこの子だけは最後の最後までそばにいて
世話をしてあげたい、と心の底から思う。
半額になったあの子はいま、誰か別の飼い主のもとで、幸せに暮らしているだろうか。
もしかしたらまだ、店頭にいるのかもしれない。
ペットショップにはとても残酷な現実がある。
そのことを知る経験になった。もちろん、それだけで満足して、
思考を止めてはいけない。
ペットショップにいる動物がどこからきたのか。どこへいくのか。
時には残酷な現実も知ること、考えること。
自分ではいますぐどうしようもできないことがとてももどかしいのだけれど、
今回の一件で、動物を飼うということ、飼い主になるということが
どういうことか、そのずっしりとした重さを感じる経験になった。