ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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自己承認欲求オバケから脱却するために。

最近ずっとずっと考えていて、やっと腹落ちしたことがある。

働く意味。何が自分にとって一番のモチベーションになるか。

 承認欲求がない人はいない?バランスよく自己・他者欲求を持つ方法 | みんなのキャリア相談室

自分の気持ちに正直になってみるとして。

これまで自己承認欲求が自分の仕事の原動力だったように思う。

私たちの世代、いわゆるゆとり世代や、少し下のZ世代はこの欲求が他の世代に比べて比較的高い、と最近本で読んだ。

 

上司でも、同僚でも、別の会社の人でも誰でもいいから、自分を認めてほしい。

自分の仕事を、自分のユニークさを知ってほしい。

思い返してみて、確かに自分を仕事に駆り立てる大きな原動力が承認欲求だ。

 

仕事は承認欲求を満たすのには最適な場だと思う。

上司やクライアントの期待値を超える、誰かの仕事を請け負う、言われてもいない仕事をやる。「すごいね」「仕事できるね」「仕事早いね」って言われると自分の頑張りが報われたような気がして、もっと頑張ろうという気になるのだけれど、なんだか常に欠乏している。

 

「もっと褒めてほしい」「もっと報われるべきだ」

…自己承認欲求をインスタントに満たせても、何かが不足している。自分には何かが足りていない気がする。当たり前だけれど、働ける時間は有限だし、働いたら働いた分だけ一時間当たりの生産性は落ちて、自分の無力さを痛感して、自己嫌悪に陥る。

 

それに自己承認欲求が満たせないときは地獄だ。「やって当たり前」「できて当たり前」と周りの期待値が上がれば上がるほど、みんな褒めてくれなくなる。本当に自分が仕事ができないのか、それとも自分が周りの期待値をどんどん更新して、当たり前の基準値が上がっているのかはわからないけれど、年次を重ねれば重ねるほど、褒められる機会は減っていくのだろうなと思う。上に立てば立つほど「褒められる」ことより「褒める」ことが圧倒的に多くなっていくのだろうなと何となくこれまでの経験を見て思う。

 

ちょっと話が変わるが、「褒められる」というのは、期待値を超えた時にもらえるリアクションだとおもう。(もちろんそうじゃないときにも褒めてくれる人はいるのだが)ただ、期待値を超えすぎると不思議なもので人は「褒める」を通り越して「恐れる」にリアクションが変わるときがある。予想の斜め上過ぎて、なんだか自分が脅かされてしまうような、あるいは自分とは違う世界に行ってしまったようなリスペクトや畏敬の感情が出てくるのだと思う。

 

総じて「自己承認欲求」はもろくて、はかない。

他人に自分の評価を依拠してしまうことに慣れてしまうと、常に他人の評価を気にせざるを得なくなる。サラリーマンである以上、他人の評価には敏感であっていいと思うのだけれど、それでもこれだけでは今後自分の働く意味を見出せなくなるんだろうな、と直感で思う。

 

じゃあ、どうすればいいのか、というところで、自分にとってさらに高次な欲求が仕事に対するモチベーションを与えてくれるんだろうなとも思う。他人の評価に依拠しない、自分の内側から活力が出てくるようなエネルギーのもと。

 

私の場合、それは「知的欲求」なんだろうなと思う。

知識の点と点が結びついて、線になり、それが面になる感覚。

これはインスタントには得られないもので、むしろその知識の獲得には大変な苦労をすることもあるのだけれど、自分の中でその点が点が結びついて、一つのパズルが完成した時に味わう感情は何物にも代えられないと思う。

 

お世話になった大学の教授がこんなことを言っていたのを思い出した。

わたしが大学教授をやっていて楽しいと思うことは何ですか、と聞いたら、

その先生が黒板に「Reconceptualization(再概念化)」と書いた。

 

当時のわたしにとっては全然意味がわからなかったし、もっとわかりやすくいってほしいなと少し憤りを感じたのだけれど、あのとき教授が言っていたことがなんとなくわかるようになってきた。

 

自分の中で獲得した知識を頭の中で解きほぐして、他の知識と結びつけること、それをさらに抽象度をあげて、一つの系をなす概念に捉えなおすこと、を教授は「再概念化」と表現したのではないかと思う。

 

いまは当時専攻していた国際関係とは全く違う、ITコンサルティングの世界にいるのだけれど、この膨大な知識や経験知の海を泳ぐ中でどれだけ自分がこの感覚を持てるかどうかが当面のモチベーションになりそうだ。知ることに終わりはないし、知ることそのものが手段化してしまうのは本末転倒なのだけれど、自分の中から湧き上がる知的好奇心に任せて、もっともっといろんなことにチャレンジしたいな、と、とても月並みな纏め方になってしまったけど、そうしみじみ感じた火曜日でした。