ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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『何者』かにならなくてもいい。何者でもない「自分」を模索し続けていきたいと思う話。

マレーシアからこんにちは、かとけいです。

早いものでマレーシア留学も残すところ1カ月になってしまいました。

と同時に、僕たち留学生にも「就活」という魔物が迫り来ているのを実感しています。

 

今日はそんな悩める日々の中で感じた『何者』にもならない、「自分」になることの大切さについて書いてみようと思います。

 

 

 

「何者か」になることを模索する日々。

浅井リョウさんの「何者」という作品を留学前に読みました。

就活のリアルについてなかなか生生しく描写されていて、心を抉られる作品でした。

 

何様

何様

 

 

この本のタイトルでもあり、作品の中で一貫して問われているテーマである「何者」には、「まだ『何者』でもない学生が、一体自分が『何者』であるか」を問い続けているのでは?という作者のメッセージが込められていると思いました。

 

留学に来て、言葉も自由に通じず、自分の知らない世界に放りだされてみて、「自分が一体『何者』であるか」を考える機会が増えました。生まれた環境も違えば、育ってきた世界も違い、話す言葉も、考えていることも全然違う。

 

同じ日本人同士であっても、留学を通して自分とは180°違う価値観を持っている人、将来の夢に向かってひた向きに走っている人を見ていると、「自分はまだ『何者』にもなれていない」と自分に絶望するときもあります。

 

「どんな仕事に就きたいの?」「どんな将来像があるの?」と聞かれても、漠然とした答えしか出せなくて、「やりたいことがある」とは言いながらも、他の人がそれぞれの将来に向けて歩みを進めているのに、その一歩がなかなか踏み出せない情けない自分。

 

「自分はこういう人だと知ってほしいし、そういう自分を受け入れてほしい」なんて甘ったれていてばかりで、自分には社会に必要とされる『何者』かになる覚悟がまだまだ不足しているんじゃないか、と。

 

 

他人も自分にはなれないし、自分も他人にはなれない。

結局のところ、自分は自分でしかなく、ほかの『何者』にもなりえないのではないかと考えるようになりました。

 

こうやってまるで答えのない哲学のようなことを考えてばかりいる自分も、誰かに少しでも自分のあるがままの姿、考え方を知ってほしい、共感してほしいと思っている自分もまたほかの誰でもない僕です。

 

自分のこれまで歩んできた道を振り返ってみても、紆余曲折してばかりで、まるで一貫性のない生き方をしてきたわけですが、それでもそのヘンテコな道のりを経て今の自分があります。

 

 

このブログでは何度も書いてきたと思うのですが、僕は留学を通してより「自分らしさ」、「自分がどういう考え方をして、何をしたいのか」ということが明確になったと思います。そして残念ながら僕の哲学チックな(回りくどい)考え方はなかなか結果の求められる社会に出て通用するものではないし、僕は今後就職活動にかなり苦労することになると思います。笑

 

それでも僕はいつもそんな空想に耽ってばかりいるし、客観的に見たらちょっとした変人かもしれません。誰かの思い浮かべる理想の「あの人」には憧れるけど、自分はその人にはなれないし、なって自分が満足するかどうか言われるとちょっと疑問です。

 

そういった社会に求められる『何者』かになれる気はしないけれど、自分のやりたいことをやって、それが少しでも誰かの目にとまって、その人に何らかの影響を与えることができたらいいなと思っています。

 

こうやってブログを書いているのも半分は「自分の考えを発信することそのものが好き」だからで、もう半分は「この記事が自分でない誰かに共感してもらえて、その人がその日を楽しく、充実できるように促すビタミン剤」みたいなものになればいいと考えているからです。

 

時々「ブログ書いて、最終的にどうしたいの?」なんて聞かれると、「うーん、書きたいから書いてるだけ」と答えるとものすごい渋い顔をされることがあります。ごめんなさい、でも本当にそういうものなんです。

 

やりたいからやる。それが自分に向いていると思うからやる。

「それをやって、最終的に何がしたいのか」という質問は僕は基本答えられません。笑

 

「書きたいから書くし、考えるのが好きだから考えるんだよ」というのは「その行動によって何を得られるか」を軸にしている人にしてみれば、なんて自己中心的で生産性のない考え方だろうと思われるかもしれませんが、それをしている時間が一番僕にとって「幸せ」な時間なんです。

 

もちろん「好きなこと、やりたいことを仕事にしたい」と思ったら、自分のやっていることに対する客観的な視点、ビジネスとしての視点(いかにお金を生み出していくか、どういった層をターゲットにするか)なども必要になってくると思いますが、それでも一番の自分の中の軸は「好きなことをできているか。それをして満足しているか」なのです。

 

そういった「自分のやりたいことをやること」が最優先であるのにも関わらず、まだ他の人に引け目を感じてしまうのはまだまだ「自分のやりたいこと」への熱意、それをやり抜くんだという決意が足りていないからかもしれません。

 

「そんな好きなことばっかりやってうまくいくわけがない」という世間の声に耳を傾けて『何者』かになろうと必死になるくらいなら、「好きなことを好きなだけやって一体何が悪いんだ」と平然と言ってのける強いハートと情熱がないと。

 

そして、それを自分の天職だと思いこんで、昼夜没頭してはじめて僕は社会の『何者』でもない、『何者』にも取って代わられない「自分」として生きられるのではないかと思います。

 

かとけい