ホモサピエンス日誌。

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「きつかったけど、楽しかった留学」と語り継がれていく留学神話。

マレーシアからこんにちは、かとけいです。

セメスターが始まり、一カ月が経とうとしているが、いよいよ帰国までのカウントダウンも始まった。ホントにこの5カ月あっという間に過ぎ去った。

そんな中、帰ってから「留学どうだった?」と聞かれて、何と答えようなんて早すぎる心配をし始めた。

 

 

「留学どうだった?」と感想を聞かれて多くの人は何と答えるのだろう?

で思いついたのが「きつかったけど、楽しかった留学☆」っていうテンプレ回答。

ほとんどの留学生がこう答えるのには留学の一般的なイメージが関係していると思う。

「留学して、英語がペラペラになって、異文化体験で価値観が大きく変わって、充実した海外生活を送る」なんて留学神話がまことしやかに語られている。

 

一年間の英語で世間の思い描く「キラキラの留学生」になれるか?

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「英語がペラペラ」になるなんてごく一部の人にしか起こりえない。そもそも「ペラペラ」の基準はなんなのだろうか?ネイティブ並みに話せることだろうか?英語をきれいに流暢に話せることだろうか?自分の場合で言えば、第二セメスター目にもなると、自己紹介くらいは詰まらずに言えるようになるが、授業で発言を求められるとほとんどの回答がしどろもどろで、全く論理的でない英語しか話せない。

 

それでもほとんどの日本人は「留学したから英語がペラペラになる」という神話をまるで疑わないし、留学生である自分たちもわざわざそれを否定しようとはしない。というか、まるで一年で別人のごとく英語が喋れるようになったかのように振る舞うのかしれない。

 

これはある意味仕方ないことなのかもしれない。「留学経験」が一種の成功神話になっているがために、留学生が周りからかけられる期待も、自分に期待するものも大きくなっているのは当然のことだ。こう書いていて自分も「英語がメキメキ上達している」と思いたい自分が内面にいるし、帰国してからは外からのプレッシャーと戦わずにいられないと思う。

 

異文化理解による価値観の変化はどうだろう?日本とは明らかに違う生活スタイル、思想に触れることは確かに自分の価値観に何らかの影響を与えることは間違いない。しかし「価値観が180°変わるか」という点は疑問である。これは人にもよると思うが、自分はどちらかというと異文化に触れ、「自分がどういう人間か」という自分軸というものが確立した、といったほうが正しい。価値観の変化、というよりは自己の内にある価値観を再発見したというべきだろうか。

 

ただもちろん「英語力の向上、価値観の変化」に関しては個人差があると思う。性格的に社交的であったり、他人に好かれやすいタイプの人は英語力の向上が早い。ただそれでも、以前に海外に長期滞在していた、大学が英語教育に力を入れている、といった特殊な事情がない限り、英語力の向上は限定的なものになる。もちろん留学する前と後で比べれば英語力には雲泥の差があるが、それでも「ペラペラ」とは程遠い。

 

留学神話が生む留学生の葛藤と苦悩。

これはあまり留学生の口から出てこないことだとは思うが、日本の「留学ブランド」信仰は留学生に心的な負担となっているケースが多くあるように思う。先ほど書いたように「周りから向けられる留学生への期待、留学生が自己に向ける期待」と「実際のきつく、苦しい留学生活」の乖離が留学生を苦しめるのだろう。

 

FacebookをはじめとするSNSもこの現象を助長する一端になっているのだろう。誰も自ら苦悩に満ちた留学生活の様子をアップロードしようとはしない。こういったSNSはどちらかというとポジティブな内容、すなわち海外での成功談、楽しかった出来事等々をあげる場所として位置づけられている。留学生がほかの留学生のFB上の投稿を見て、「あの人はあんな充実した生活を送っているのに・・・」と嫉妬に近い感情を覚えたり、自己嫌悪に陥ったりする。でもよく考えれば、他の留学生も自分たちと同じように言葉が通じなかったり、疎外感を覚えたりするという体験は必ずと言っていいほどしている。

 

 

「きつかったけど、楽しかった留学」神話はもうやめにしよう。

このように、これまでの留学生によって広められてきた「キラキラの留学」神話は、ほかの留学生にブーメランのようにかえってくる。そしてその留学生はやはり「苦しかった留学」よりも「楽しかった留学」「充実した留学」というイメージを強調せざるを得なくなる。

 

ハッキリ言おう。英語は「ペラペラにはならない」。全く話せない状態から1年で「ペラペラ」になるとは「中身のペラペラな英語しか話せない状態」を指すのである。

 

価値観に関してもそれほど変わらないかもしれない。英語がペラペラなのは「留学した」からではない。本人の努力であったり、周りの環境がそうさせているのだ。「留学すれば英語がペラペラになる」なんて安易な考えは持つものじゃないと口を酸っぱくして言っておきたい。特に自分のような内向的な人は言語的な障害だけでなく、精神的な障害も乗り越えなければいけないことを考えると、英語の上達は一筋縄にはいかないと想像できるだろう。

 

留学から帰ってきた留学生はもっと留学の苦悩であったり、泥臭い部分を語るべきだし、留学を「キラキラの異文化体験☆」で片づけてはいけないと思う。逆説的ではあるが、海外の大学で真面目に(死ぬ気で)勉強すればした人ほど、英語はそう簡単にペラペラにはならないもので、海外での留学体験がどれほど苦しいものか知っていると思う。(たかが一年程度の交換留学の自分が言えたものではないけど)

 

これから留学に向かう留学生も「華の留学生活」という幻想にひたらずに、「苦悩の留学生活」を多少なりとも覚悟しておくべきだ。日本人とばかりつるんでばかりでは英語は上達しない。言葉が通じなかったとしても、留学生やネイティブとコミュニケーションをとっていくことが英会話上達の近道だし、アカデミックで教養ある英語を習得しようと思えば、大学の勉強に没頭すべきだろう。これらの経験はかなり心身ともに負荷のかかるもので「キラキラの留学生活☆」とは無縁だが、「キラキラの留学生活☆」を送った人とは比べもののならない教養、英語力が培われているはずだ。

 

かくいう自分もまだまだそれが実践できていない。「最近留学に慣れてきて楽しい」というのはある意味危機を感じるべきだと思うし、よりレベルの高い授業であったり、ネイティブやヨーロッパ圏の人と積極的にコミュニケーションをとって「レベルの差」を思い知らなければいけない。

 

・・・かなり留学のネガティブな面ばかり書いてしまったが、むしろこういった厳しい環境下でしか、本物の英語力は培われないと思う。自分の英語力はこのマレーシアのたった一年の留学の中では「本物」になることは決してないだろうが、いかにその「本物」への道のりが遠いかということを思い知ることができるだけでも自分は恵まれていると思う。ひょっとしたら一生その「本物の英語力」を手に入れる日など来ないかもしれない。それでも去年よりはちょっとマシ、一昨年前よりはもっとマシな英語が使えるようになるだろう。

 

「留学一年して、これで英語は完璧!自分の英語に自信がある!」「日本語と同様にスムーズに会話できる」なんて口がさけても言えない。むしろこのマレーシアでの留学は「自分の英語力がいかに残念だったか」を思い知り、今後もっと血のにじむ努力をして英語勉強に励もうと思わせてくれる。

 

「苦しい、きつい留学」で結構!

「きつかったけど、やっぱり楽しかった留学神話」よりも「きつくて、しんどい留学秘話」をもっともっと多くの人に発信していかなければ、と思う今日この頃。