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留学回顧録: 意識高い系であれ。ホモサピエンスであれ。

毎度おなじみマレーシアからかとけい、といいたいところですが、私かとけいすでに飛行機の中でこのブログを書いております。(なので今日は画像挿入できないかも)

 

ついに、ついにこの時がやってきました。マレーシアに飛び立ってからはや9ヶ月ついに日本への帰国となりました。

 

今は心の中に色々な感情が渦巻いていてます。マレーシアから離れることへの寂しさ、日本での生活が始まることへの期待、迫ってきたインターンシップ、そして就職活動への不安。今の感情を一言では表せません。混沌です。

 

自分がブログを続けてきたのはなぜ…?

思い返せばこのブログも60記事を超え、ブログを書く事が日常生活の日課の一つになってきました。自分でも過去のエントリーを振り返って思うんですが、自分の中にはこれと言って"軸"というものがなくて、とにかく書きたいものを書きたいだけ書いてきたなと思います

 

なんでブログなんて書いてるの?と言われても正直ちゃんとした理由はいえません。もちろん前書いたように「他の留学生の気持ちを代弁できたら」とか「自分の気持ちの整理」というのも理由の一つですが、自分がブログを書きたい理由の根本的なところは「自分がそうしたい」からです。

 

書きたいから書く。

勉強したいから勉強する。

泣きたいから泣く。

僕の行動原理はいつも突発的なものでした。もう"うんこしたいからうんこする"と同レベルです。原始人なんです。ホモサピエンスなんです。ただその純粋な"気持ち"の部分に抑制的になっている自分がいたのも確かです。

 

書きたいから書く、のだけど、でもやっぱり書くにはそれなりの理由が必要だ…。

勉強したいか勉強する、のだけど、でもやっぱり何か就活とかに役に立てないとな…。

 

そんな"理由" の部分に引っ張られすぎて、行動的になれない自分がいました。

 

そんな中、他のトビタテ生や同じ交換留学の子の中には目を見張る行動力がある人がいて、そんな人に嫉妬して、だけど自分にはそれをやりたい"ちゃんとした理由"がないから、って勝手に自分に制限を設けて二の足を踏んでいる自分。情けなく思いました。

 

留学で得られたモノ。

でもそんな内向き思考な自分でも、内から働きかけてくれる人がいて。 

 

"キミのプレゼンはいつもわかりやすいし、テスト勉強はキミのプレゼンをもとに勉強したい!"

"キミの考え方は面白いね"

"ブログいつも読んでるよ!"

なんて言ってくれるマレーシアや日本の学生、先生が"自分はここにいて、ここで頑張っていいんだ"という"理由"を与えてくれました。

 

確固たる目標があって、そこに向けてひたむきに走らなければいけない、レールから外れちゃダメなんだ、なんてずっと思っていましたが、自分の人生考えてもみたら脱線だらけ。

 

高校のときは途中で部活もやめてしまうし、大学に入っても一年生、二年生のころは授業もさぼりがち。だけど留学だけはしたいなと思って、運にも恵まれてトビタテも受かり、留学をして。

 

"日本を変えたい!" "世界の貧困状況を改善したい" そんなビックな志を持った人に比べれば、自分の計画は少し地味だったからしれないし、どれだけトビタテ生として振舞えたのかもわかりません。

 

モヤモヤモヤモヤしている中でもなぜか"書く"こと、"とりとめもなく考えること"だけは好きで、気づけばブログを書いていたり、次のプレゼンでこんな発表うをしようととりとめもなく考えてみたり。

 

純粋にそういうのが好きだったし、それで誰かに褒めてもらえることが自分のやりがいになっていたのだと思います。

 

意識高い系であれ。ホモサピエンスであれ。

"意識高い系", 巷にはこんな若者言葉があります。"妙に目標や志、気持ちだけは強いけど、行動がまるで伴っていない人"を揶揄した言葉です。

 

これとよく比較されることばが"意識高い人"。意識高い"系"ではなく、本当に意識が高い人。行動が伴っている人。行動にしっかりと芯が通っている人。

 

僕はこの留学で多くの"意識高い"人を見てきました。しっかりした軸を持っていて、行動でも示せる人。トビタテ生も多くがこのタイプ。

 

自分はというと、「意識高い人になりたい意識高い系」の人だったと思います。笑

 

この意識高い系には色々なタイプがあります。その一つに、やりたいことはあるけど、チャレンジするのが億劫で、ついつい行動をためらってしまう人もいるのではないでしょうか。

 

でもそんな自分を責めなくてもいいのかもしれません。意識高い系は本当に意識が高くなるための前段階

そもそもこんなことば、こんな概念作ってしまうからほんとにやりたいことですらやれなくなってしまう(自分で言っておいてあれですが)

 

うんこしたかったらうんこしたほうがいいでしょ?それと同じ。誰にもうんこしたい人にうんこさせない権利なんて持ってない。誰だってうんこするのにそれを公では言えない生きづらい世の中なんて文字通りクソです。誰にもしたいことをやらせない権利なんてもってない。人間は原始的に生きるべきなんです。

 

意識高い系の諸君。意識は高くあれ。誰かに"ちゃんとした理由"を示せなかったとしても。理屈を超えて、感情で本当にやりたい何かがあればそれでいいじゃん。理由なんて、ないよ。やりたいからやっちゃうだけ。だってホモサピエンスだもの。それが案外《賢い人》(Homo sapience)なのかもよ。

 

自分への戒め、自分への励ましです。

 

さらばマレーシア。こんにちはニッポン。

 

ニッポンでももがいて、もがいて、もがいて泥臭くやって参ります。

 

かとけい

 

 

マレーシア留学 総括③ 辛い時こそ。

毎度おなじみマレーシアからかとけいです。

今回は前回のエントリーとうってかわって、留学中に感じた(というか今も感じるときもある)苦しかったり辛かったことなど内面的なことを書きたいと思います。

 

  • 弱くて、脆い自分をさらけ出してみる。
  • 気合い十分で乗り込んだマレーシア。だけど・・・
  • ルームメイトに言われてしまった一言。
  • 苦しさから抜け出すために・・・。
  • 苦労は勝手でもしろ、は本当。
  • 今「苦しい、辛い」と思っているすべての人へ。

 

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マレーシア留学 総括② 英語力の変化(その2)TOEICの点数で見る英語力

毎度おなじみマレーシアからかとけいです!

さてさて前回のエントリーでは「マレーシア留学 総括」と称してまずは留学でどのくらい英語力が伸びたかについて書く・・・予定でしたが、「英語力とは何ぞや」の話に終始してしまい本題に入れませんでした。笑

 

てなわけで今回は前回に引き続き「自分の英語力の伸び」について紹介したいと思います。

 

  • TOEICの点数、何点とれた???
  • TOEICの結果を受けて・・・ 自己分析と、対策と、考察。
    • <自己分析>
    • <今後の対策>
    • <「英語力」と「TOEICの関連性」についての考察>
  • 今回のまとめ:「TOEIC」と留学で培われる「英語力」

 

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マレーシア留学 総括① 英語力はどうなった?(その1)

マレーシアからこんにちは、毎度おなじみかとけいです。

ここ1カ月ほどブログを更新できず、ごめんなさい・・・

実はここ1カ月はレポート提出やレポートに追われ、なかなかまとまった休みが取れずにいました。そんなことで地獄のテスト週間が終わり、ふと振り返ってみると、「あれ、もう帰国まで1週間しかないやん!!」と。

 

これはこれまでの振り返りをせずにはいられない、ということで今回からは「マレーシア留学 総括」と称して、これまでの10カ月の留学生活を振り返ってみようと思います!

 

 

総括編第一回目のテーマはずばり、「英語力」!!留学に興味を持っている皆さんにとっては「留学するとどのくらい英語力が伸びるのか」ということが気になるところだと思います。

 

そこで今回は僕の留学経験を踏まえながら、英語力の変化について書いていこうと思います。

 

 

「英語力」ってなんやねん。① 大学で求められる英語の4スキル 

さてまず英語力の変化について書く前に、そもそも「英語力」っていう言葉がクセモノです。英語力が高い、低いといっても具体的にはどういった力を指しているのかわかりませんよね?

 

そこでまずこの「英語力」の正体について「4つの英語技能」「英語活用レベル」の二点に絞って僕なりに説明してみようと思います。

 

①「英語力」4つの技能

 

1. リーディング (読解する力)

2. リスニング(聴解する力)

3. ライティング (書く力)

4. スピーキング (話す力)

 

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さてまずこれについては説明不要かと思いますが、英語力を図る指標としてこの4つがよく用いられますね。特に1と2のリーディングとリスニングはTOEIC、受験勉強等で集中的に勉強する分野なので馴染みがあると思います。

 

3と4のライティング、スピーキングのアウトプット能力については、論文を英語で書いたり、プレゼンを英語で発表したりする大学やその後の社会に出てから重視されるようになってくる力ではないでしょうか。

 

もう少し詳しく見ていきましょう。

 

「リーディング力・リスニング力」の項目では読む力、聞く力ではなく、「読解」「聴解」する力と書きました。というのも基本的には大学レベル以上の英語では専門的な事柄について書かれた本について授業で取り扱うようになり、ただ「読む」「聞く」というよりは、それを「読み解いていく」「聞いて理解する」といった力が必要になります。(※大学レベル以上での「英語での学び」に限られますが)

 

「いやいやでもそんな専門書を読む人なんてごく一部でしょ?」とそんな声が聞こえてきそうですが、逆に考えてみてください。その「ごく一部」の人にしか与えられていない知識にアクセスできるようになるということはとてつもないメリットではないでしょうか。

 

例えば、あなたが英語で政治学の授業を英語で取ったとしましょう。はじめは専門用語だらけでなんとなく本は「読める」し、先生の話も「聞ける」けど、一体それがどう重要で、どう次の学びに活かしていくかはわからないと思います。ただそういった授業をこなしていくうちに、何を学ぶべきで、どう活用したらいいかわかるようになります。

 

その状態で新聞を読んだとき、そこには違った世界が広がっているのではないでしょうか。もちろん日本語の文献からもそういった知識は得られますが、直近の情報であったり、日本があまり進んでいない分野についての情報も、英語の文献をあたれば見つかるかもしれません。

 

このように「ごく一部」の人しか持っていないものを読み、聞き、理解して、自分のものとして吸収して、「ほかの人にはない価値を生み出せる」ようになるのが「リーディング、リスニング」を大学レベルで学ぶメリットではないでしょうか。

 

少し話が逸れてしまいました。

 

ライティング、スピーキングについて。

これも一口に「書く力」「話す力」と単純化できません。

 

極端な話をすれば、"I can write English"と書くのもライティング力にあたるかもしれませんが、大学で英語を学ぶ以上もっと高度なライティング力が求められているのは当たり前です。

 

大学ではネイティブスピーカーや準ネイティブスピーカーの洗練された英文を書く、流暢な英語を話すことが理想とされますが、そのレベルに達するのは本当に難しい。ただだからといって適当なことを何でも話せばいいというわけではなくて、読み手、聞き手にとってなにかしら「価値のあるもの」を生み出さなければなりません。

 

"I can write (speak) in English" といったところで別に相手は「ふーん、そうなんだ」くらいにしか思いません。(笑)「日本語話せます」と外国人の方に言われたら「おおすごいね!」とはなりますが、英語はもはや世界共通語と化しているので少しくらい話せたり、書けたりするくらいではなんとも思われません・・・。

 

(「日本人なのに、英語話せるんだね!」と言われ、まるで赤ん坊と話すみたいな態度をとられるのは少し屈辱だったりするわけで・・・笑 もちろんまだまだ英語力が未熟だからだろうけど・・・)

 

だから、多少言い回しがおかしかったり、詰まり詰まりになりながらでも、「聞く(読む)価値のある話」、例えば授業で「この人はちゃんと予習してきていて、授業に貢献しようとしている」と教授に思わせる話し方をしなければいけません(まあ僕の場合、たいてい「何言ってんだこいつ・・・」状態だったかもしれませんが・・・笑)

 

長くなってしまったのでまとめると、「なんでもかんでも話せばいい、書けばいいってもんじゃないよ。大学ではそれなりの価値を持った発言、論文が求められるよ!」って話でした。

 

「英語力」ってなんやねん。② 実用レベル

二つ目の基準は「実用レベル」。これは「英語習熟度」とは違います。要は、どういったシチュエーションでその英語を使うか、という話です。友達と気軽に話すときに使う英語なのか、それとも仕事で使う英語なのか、はたまた専門性の高い英語なのか、ということです。

 

図にしてみました。こんな感じです。

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なぜ「専門性が高い英語」がピラミッドの一番上に来るかというと、一つ目の理由は先ほども書いたように「一番希少性が高い」分野ではないかと思っているからです。仕事での「オペレーションスキル」としての英語はある程度決まりきった言い回し等があり、それほど語彙の多さ、言い回しの豊富さは求められません。それに対して学問は(特に社会科学系は)「言葉でいかに表現し得るか」ということがポイントになってくるのでかなり豊富な表現力が要求されます。

(※あくまで「英語」という言語にフォーカスした時の「言語の活用レベル」についてです。学問より仕事のほうが楽とかそういうことを言っているわけではないのであしからず)

 

といっても僕は、ゲストハウスのアルバイトでしか、この「オペレーションスキル」としての英語を使っていませんので、断定はできません。またその職務の専門性のレベルによってもそのレベルは変動すると思います。

 

2つ目の理由は下のベースとなる英語力がない状態で、この専門的な英語を学ぼうとすると、結局その下の部分までカバーするために時間を費やさなければなるということです。

 

どういうことか。つまり、日常英会話が全くできない状態で、交換留学生として大学に入学すると、授業はおろか、学校の手続きすらもままならない状態になります。しかも友達との会話も限定的なものしかできないので、うまく友達もできない・・・という最悪の状態に陥ります。

 

ぶっちゃけ僕がそうでした。笑 前期セメスターは授業とかそれ以前に、マレーシアで生きていけるのかどうか怪しい状態でした。人間、そこまで追い込まれると不思議なもので何とかしようと頑張るんですね。なんとかマレーシアで生き抜いていけるだけの英語力はつきました・・・

 

だから「大学留学は専門的なことしか学ばないから、実用的な英語力は伸びないよ」というのは真っ赤なウソだと思います。

 

授業でいい成績をとるためには先生や友達にわからないところを聞いたりするための日常英会話力、事務手続きでトラブルが発生した時にスムーズに事を解決するオペレーションスキルとしての英語力、と結局土台となる力を伸ばしていくことになるのです。

 

「専門性の高い英語」を学ぼうとすると、「専門性の低い英語力も伸びる」というのは逆説的ではありますが、「英語を学ぶ」ことではなく、「英語で学ぶ」ことで英語力の伸びが加速しているというのは非常に的を得ていると思います。

 

・・・てなわけで、「留学で英語力はどうなった?」という話から、そもそも「英語力」ってなんやねん?という話になり、結局まだ本題の自分の英語力についてあんまり書いていませんね。笑 長くなってしまったので、また2回に分けて書きたいと思います。いつもいつも長文、長文ですいません。笑

 

それでは今日はこの辺で!

 

『何者』かにならなくてもいい。何者でもない「自分」を模索し続けていきたいと思う話。

マレーシアからこんにちは、かとけいです。

早いものでマレーシア留学も残すところ1カ月になってしまいました。

と同時に、僕たち留学生にも「就活」という魔物が迫り来ているのを実感しています。

 

今日はそんな悩める日々の中で感じた『何者』にもならない、「自分」になることの大切さについて書いてみようと思います。

 

  • 「何者か」になることを模索する日々。
  • 他人も自分にはなれないし、自分も他人にはなれない。
  • やりたいからやる。それが自分に向いていると思うからやる。

 

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日本人同士で英語で会話することは果たしてダメなことなのか。

マレーシアからこんにちは、かとけいです。

留学生の人ならだれでも悩みを抱える部分ではあることの一つ、「日本人同士で英語で話すことはダメなのか」ということについて今日は思うところを書いてみたいと思います。

 

日本人同士で英語で会話することの効用

結論から言えば、僕は日本人同士であっても英語で会話することは意味のあることだと思います。

 

留学に来ているのであれば、他国の留学生と英会話をする機会が増えるのでそんな必要にないように思えますが、例えば語学学校で周りに日本人が多かったり、ルームメイトに日本人がいるような場合は実際そのようなシチュエーションは十分あり得ます。

 

さらに言えば、留学を終えて日本に戻ってからは、身の回りの人はほとんど日本人、ということになるでしょう。英語を使った授業では日本人が大多数の中で英語を話すことになります。

 

英語で話すということは「英語でのアウトプットの機会を増やす」ということに他なりません。相手が日本人である場合は、たいてい間違った英語を話しても日本人お得意の「察する文化」でなぜか通じ合ってしまうため、正しい英語を話しているかどうかは確かめられませんが、とにかく口を動かして英語を話す練習にはなるでしょう。

 

にもかかわらず、僕たち日本人の多く(一括りにはできませんが)は「日本人同士で英語を話すこと」に抵抗感、さらには嫌悪感さえ覚えるのはなぜでしょうか。

 

 

なぜ日本人同士で英語を話すことを嫌がるのか

これに関しては大きく分けて、3つの外的・内的要因があげられると思います。

 

①「日本人なら日本語で話したほうが便利」

これを言ってしまったらもう終わりですが、日本人なら日本語で話したほうが100倍楽に決まっています。「なんて言ったらいいのかな・・・」なんて悩む必要ないです。頭の中で考えたことをほぼ瞬時に日本語で表現できます。なのになんでそれをわざわざ英語で言わなきゃならないの?

 

・・・まあそれは本当にその通りなんですが、「英語で話せるようになること」が目標ならば、日本人同士であっても英語で話すことがその一番の近道に決まっています。日本語だってそう。僕たち日本人は普段から日本語で話しているから日本語が話せます。

 

しかしながら、私たちはその目標を掲げながらも、そのうちに英語で話すことがめんどくさくなってきて、「日本人同士で英語話してるのなんか変じゃな~い、ダサくな~い」とさえ思えてきて、英語で話すことをやめてしまうのです。

 

 

②他の日本人の英語に対しての厳しい目線

僕的にはこれが一番の理由かなと思うんですが、日本人はほかの日本人の使う英語に非常に批判的な目線を向けてしまう傾向にあると思います。

 

日本では「ネイティブスピーカーのように話せるのがかっこいいし、それが一番だ」というネイティブ英語への恐ろしいまでの執着心があり、訛りのある英語、文法的に間違っている英語は英語とすら思っていないのではないか、とさえ感じることがあります。(言い過ぎかも笑)

 

中国人、インド人英語は標準的なアメリカ英語、イギリス英語と比べればかなり訛っていますが、それでも彼らの話す英語も立派な英語のひとつです。

 

それなのに、日本人の多くは「ネイティブのような完璧な英語を話さなければいけない」と思っていて、そのレベルに達するには途方もない時間がかかることを知っているのに、なぜかそこが「全員の目指すべきゴール」のようなものになっている気がします。

 

そういった思い込みから「あの人の話す英語の発音はちょっと・・・」とか「そんな言い回しはネイティブはしない」といった同じ日本人への英語批判が始まってしまうのではないでしょうか。

 

たとえ周りの人が直接的にその人に英語批判をしなかったとしても、当の本人は「みんな自分の英語を批判的な目線で見ているに違いない」と思い込んでいるから、「日本人の前で英語を話したくない。恥ずかしい」というところに行き着くのではないでしょうか。

 

③一部の英語を話すのがとてつもなく上手い日本人が「英語ができる人」のモデルになっている

これは②の「日本人の他の日本人への英語批判」とも関連していますが、「ネイティブスピーカー」への異常な信仰心が、一部のネイティブのように話す日本人(特に発音面でネイティブのような発音で話す人)を「英語ができる人」の基準にしているのではないかと思います。

 

裏を返せば、「英語がいかに早く読めようとも、発音が悪い人」は「英語ができない人」として見られてしまうことが多いのです。つまるところ、日本で『英語ができる人』になるには「TOEICで900点をとる」か「発音をネイティブ並みにする」かの2択になるのです(超乱暴に言ってしまえば笑)

 

その日本の『英語できる人』像がかなり歪んだものであることは言わずもがなですが、さらに問題なのはこれが「英語の上達には段階がある」という当たり前に思える事実を見えなくしてしまうことではないでしょうか。

 

つまり、日本では英語学習者が「英語ができる人」か「英語ができない人」の2つしかないのです。英語のレベルはそんな「1か0か」の世界では図れないもので、発音にしても「相手にところどころ聞き返されるレベル」「不明瞭ではあるが、ほぼ聞き取れるレベル」といった上達段階があるはずです。

 

この「英語できる人/ できない人」という極端な振り分けが、日本人英語学習者の多くに「英語できない人」というレッテルを張り、「『英語できる人』に私なんかが英語を話すなんておこがましい・・・」なんてネガティブすぎる感情を生んでしまうのではないか、と考えています。

 

少し話が本題とずれてしまいましたが、「英語できる人/ できない人」というレッテル張り(二分法)が「英語学習者のレベルは様々で、どのくらい話せるかも人による」という事実を隠蔽して、ともすれば「英語ができない」英語学習者に「英語ができる」英語学習者とコミュニケーションを図ることへの劣等感を抱かせることになっているのではないか。

 

もっと簡単に言えば、「私英語全然できないし、あんな英語話せる日本人にわざわざ英語で話しかけるなんて自殺行為。馬鹿にされるに決まってるわ」と勝手に思い込んでしまわせてしまうような社会構造があるんじゃない?っていうことです。実際は「あんな英語話せる日本人」も本人は「英語が話せない」と思っているかもしれないし、さらに上にいる日本人学習者とは英語で会話したくないとさえ考えているかもしれないのです。笑

 

 

日本人同士の英会話で「英語恐怖症」に陥ってしまわないためには。

さてさて、いろいろ長々と書いてしまいましたが、まあ要するに「日本人同士の英会話でも意味があるんだから、恥ずかしがらずにどんどん英語を話そう」ってことなんですが、その恥を捨てるのが大変。

 

もうこれは「気にしない」しか方法はありません。

 

特に留学から帰ってきた人たちは「留学してたんだし、英語話せるんだよね」という外からの期待と戦わなくいけなくなります。その中で、日本人の前で英語を披露する機会も間違いなく出てくるでしょう。自分の英語力に自信がある人はベラベラと話せるでしょうが、僕のような「中途半端な英語力」を持っている人、あるいは他人から見たら流暢に英語を話せるのに、自分では満足しきれていない人は大変です。

 

ももうそれは気にしたら負けです。

 

『ネイティブのようには話せない。傍から見たら『英語できない人』に見えるかもしれない。留学していたのに恥ずかしい。だから英語で話すのは避けて、できるだけ日本語で(???)』

 

これでは何のために留学したのかわかりません。もちろん語学上達だけが留学の目的ではないことは確かでしょう。それにしたって、多少なりとも誰しもが「英語で話す経験」を日本以上に留学先でしていると思います。

 

だから恥ずかしくたって、実際に恥をかいたって、英語のスピーキングを上達させるには英語は話さなきゃいけない。ある意味、留学生の使命かもしれません。

 

「あの人より英語話せない」と劣等感を持つかもしれませんが、そう思ったあなたも「英語をできない人」ではありません。

 

プライドなんてさっさと捨てて、大きな声で自分のスピードで英語を話す。日本にいたって、英語で緊張しながら話してるその一秒一秒が自分の英語の成長の一助になっているはず。

 

そう自分に言い聞かせて、今日もまた頑張っていきましょう!

・・・以上、ほぼ自分への戒めに近い投稿でした。

 

かとけい

 

 

 

 

アメリカ英語、イギリス英語だけが英語じゃない! オーストラリア英語ってどんな感じ?

マレーシアからこんにちは、かとけいです。

私事ですが、先日オーストラリアのシドニーに行って参りました。

景色や食べ物もさることながら、僕が関心を持ったのはオーストラリアの人々が話す「オーストラリア英語」です。

 

今回は、メジャーな「アメリカ英語」「イギリス英語」にとって代わる「オーストラリア英語」の魅力をわかりやすくお伝えしたいと思います!

 

オーストラリア英語は訛りが強い!?

シドニーの国際空港に着いて、空港の職員さんの英語に耳を澄ませてみると、いつもとは少し違う聞きなれない英語が聞こえてきました。

 

「確かにこれは英語だけど、アメリカ英語みたいにrが強く発音されるわけでもなければ、イギリス英語みたいに流れていく英語ともちょっと違うような・・・」

 

それが僕のオーストラリア英語の第一印象でした。

 

どちらかというとイギリス英語に近いですが、BBCのアナウンサーが話しているようなイギリス英語とも違うし・・・。なんとも不思議な感じでした。

 

もちろん僕の英語のヒアリング力がそこまで高くないこともありますが、普段は60~70%くらいは聞き取れている英語が30~50%くらいしか聞き取れませんでした。

 

これはマズいと思い、マレーシアに帰国してからオーストラリア英語について少し調べてみました。

 

オーストラリア英語はイギリスの下町の英語!?

オーストラリアはもともとイギリスの植民地であり、イギリス本土からたくさんの労働者がオーストラリアに移住させられた歴史があることから、多くのオーストラリア人は「ロンドンの下町」の英語、いわゆる「コックニー」に近い英語を話します。

 

コックニー」(Cockney) とは、東ロンドンの、主に労働者階級の人々達が話す英語、およびその人たちのことを指します。

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詳しくは次の動画の中で詳しく説明されています。百聞は一見にしかず?です。

www.youtube.com

 

 

ここが面白いよ、コックニー

もちろんオーストラリア人の話す英語がコックニーそのものであるとは言えませんし、単に「オーストラリア人」といっても中華系の人もいれば、インド系の人もいて、それぞれが違った訛りを持っています。ただ、このコックニー調で話す人も多いので、知っておいて損はないでしょう。

 

以下、動画でも説明されていますが、コックニーの発音について詳しく見ていきます。

 

th音 thの発音はオーストラリアでははっきり発音されません。そのため[θ]は「f」に、 [ð] は [v] に近い音になります。例えば、"mother"は"mover"、"something"は"somefing"と聞こえます。

 

h音 hの音は脱落することが多いです。そのため"have"は"ave", "house"は"ouse"になります。

 

母音 BBCなどで聞かれるような標準的なイギリス英語RP(Recieved Pronounciation) に比べ、母音が強く発音される傾向にあります。eiの発音は「ai」になり、「day」は、「daɪ」という発音になります。さらに、/iː/が[əi]、/aɪ/が[ɒɪ]、/ɔɪ/が[oɪ]になって、/aʊ/が[æː]になるなど複雑に変化します。個人的にはこの母音の変化、強調が日本人には聞きなれないものとして耳に残ると思います。

 

 

・・・こんな感じで、ざっくり見てもアメリカ英語、イギリス英語とはかなり違うことがわかると思います。

 

ここでひとつ面白い小ネタを紹介します。

オーストラリアの病院に入院していたイギリスの婦人が、ある日担当医からある言葉を言われて泣き出してしまったそうです。

 

オーストラリア人の医者は"You can leave today"(今日退院できますよ)といったつもりでした。

ところが、オーストラリアでは"today"が"todai" (トゥダイ)と発音されるため、イギリス人の婦人はそれを"To die" と勘違いしてしまったのです。

イギリス人の婦人からしてみれば、"You can leave to die" (死ぬために退院してください)と言われたのだから、かなりのショックだったでしょう。笑

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このように、オーストラリア人はコックニー調で母音を強く読むことが多い傾向にあっります。

 

こんな風にその地方ごとに英語の特徴を見ていくと面白いですね!

 

 

オーストラリア英語に慣れたい方、またもっと聞いてみたい方はこちらのオーストラリアのドラマシリーズがおススメです。刑務所を舞台にしたややシリアスなドラマですが、ストーリーが秀逸なので飽きずに継続してみれること間違いなしです!

www.amazon.co.jp

 

 

それでは今日はこのへんで!

 

かとけい