仕事をしているようで、仕事をしていない。
目の前の仕事なんて正直どうでもよい。
と思うときがある。(今日も煽り全開で記事を書いていくw)
わたしのポリシーは「とにかく目の前のことを150%で頑張って、そこで自分の納得するような結果を手に入れる」だと思っていたのだが、それとは相反するような、モットーも潜在的には持っているなと最近実感する。
正直別に、今の仕事でコケたところで死ぬわけではないし、むしろ目の前の仕事がいつかの語り草になるように、前のめりになれるだけ、なってみるか。
という楽観的な気持ちが心の奥底にはある。
わたしの敬愛するチャップリンのことばで、少し前のブログでも紹介したが、
「クローズアップでみれば悲劇だが、ロングショットでみれば喜劇である」という言葉がある。目の前で悲劇的なことが起こったとしても、それはいつか笑い話になるし、成功したことより自分の肥やしになることすらある。
映画チャップリンのオマージュが随所に現れるJOKERでの一言
"Comedy is subjective. Murray. all of you, the system that knows so much. you decide what's right or wrong. The same way that you decide what's funny or not. -『コメディは主観的だよね、マレー。ここにいるみんなはよくわかっているはずだ。君たちが何が正しくて何が正しくないかを決めるのと同じように、何が面白くて、何がつまらないかを決めるのも君たち。』- シリアスなシーンでの皮肉の聞いた一言ではあるが、映画館で見ていた私をハッとさせたひと言。
…だとすると、仕事はただの人生の暇つぶしにスパイスをくれる調味料に過ぎない。仕事で成功すれば、ハッピー。仕事で大失敗してもお金も、命も取られるわけじゃないし、首が飛ぶくらいで、別に何も失わない。むしろ攻めのスタンスで、誰かから嫌われたって自分の個性全開で、仕事をやったほうが楽しい。
「失敗しないか」「怒られないか」「誰かに迷惑をかけないか」
そんな不安はだいたい杞憂に終わる。
仮に本当に起こったとしても、誰かがやりかねない失敗を自分が率先してやってあげた、怒ることはエネルギーを使うのに自分のためにわざわざ怒ってくれた、迷惑をかけられるほど自分の仕事に影響力が出てきた、etc...無限に解釈の仕方はあるし、自分が主役のコメディで今はオチに向けた壮大な前フリが来たと思うと気が楽だ。
責任逃れをしたい。と言っているわけではなくて、仕事でプレッシャーがかかってくるようなことになったときにどうやって自分を鳥瞰的に見て、目の前のことがいかにちっぽけなことか、と思えるメンタルが、かえって仕事を、プライベートを充実させるなと思う。
かっこいい言葉でいうと、「視座を上げる」とでもいうのかもしれない。
目の前のことに固執しすぎず、そこから得られる自分へのフィードバックを大切にする。これをするためには、まずは一個のことに縛られないように、自分の仕事やプライベートの用事をできれば複数個持っておいて、それぞれ、その出来事自体に一喜一憂することなしに(一喜一憂するかもしれないがそれすらも自分の新しい感情への気づきとして)自分のコアにある価値観や美的感覚を養う肥料だと思えば、その物事自体の顛末は正直どうだってよくなる。
そういう意味ではまだまだ自分はまだまだこの涅槃の境地にたどり着くまでには道のりが長い。ただ、まだ目の前のことに一喜一憂できる若い感性があって、変に達観せずに直でいられる(いや、もうこんなことをブログに書いている時点でしているかもしれないが…笑)自分を好きでいたいなと思う金曜の夜でした。