ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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東京に来て、「就活に正解はない」なんて当たり前のことに気づいた話。

現代のホモサピこと、かとけいです。

いま、東京にきています。

 

インターンシップしてました。

インターンの感想を一言でいうと、「モヤモヤした。」

 

 

 

 

東京は「個性的」な人がいっぱい

 

東京でインターンをしていると、本当にいろいろな学生と会います。

とにかく「これがしたい」という志を持ったアツい人。

一見するとすごく静かそうに見えるけど、話し始めるとめちゃくちゃ面白い人。

「同じ大学生なのか」と思うくらい、いろんな体験をしているチャレンジャー精神溢れる人。

 

 

 

こんな個性的な人たちと実際に話してみて、「自分はいったい何者なんだろう?」といつも考えさせられます。自分は果たして「個性的」なのかなと。自分がほかの人に「面白い」と思ってもらえるだけの個性を持っているのかなと。

 

自分は将来何がしたいんだろう?

自分はどんな大人になりたいんだろう?

今、自分はどんな人に見えているんだろう?

 

考えれば考えるほどわからなくなります。

 

就活のノウハウ本とかを読むと、とにかく「自己分析」が大切なんて書いてあるから、過去の自分のエピソードをいろいろ引っ張り出してみて、そこから浮かび上がる人物像をもとにエントリーシートを書いたり、面接に出たり。

 

でも、改めてエントリーシートを読んでみて、「これが果たして自分なのか」と考えると、また「自分らしさ」って何かわからなくなります。

 

インターンシップ、苦戦してます。嘆いてます。

僕の場合、エントリーシートは通るけど、面接は落ちてばかりで。

「僕の話し方、すごく回りくどいと思うので、もっと短くしたほうがよいですか?」って聞いても、「いや、面接別にうまく話せてたよ」って言われて、「じゃあなんで落ちたんだよ」って自問自答を繰り返してます。

 

SNSを見ると、「今から、○○のインターンシップ行ってきます。頑張るぞ!」とか「△△のインターンシップ行ってよかった。自己成長できた。」とかそんなのばっかりで、「別にこんなのSNSで投稿しなくてもいいのに」って心の中では思ったり。

 

試験でも就職でもなんでもそうですが、受かれば「優越感」に浸るし、負ければ「劣等感」に苛まれるし、一度受かると、一度落ちると、逆の立場にいる人の「幸せ」「悲しさ」に共感してあげられなくなってしまうのでしょうか。

こんな風に考えていくと、就活のバカヤローって気持ちになります。

 

あの人の「個性」は認めれて、自分の「個性」は認められないのか。

あの人の「ワガママ」は通って、自分の「ワガママ」は通らないのか。

 

自分が落ちて悲しい気持ちも、友人の受かって嬉しい気持ちも同時に心の中で持てたらいいのに、と思います。「個性」に優劣はないし、それで受かった、落ちたと評価されても、「きっと自分には合わなかったんだろうな」と諦めをつければいいだけのはずなのに、なんだか自己否定をされてような気持ちになる。結局「落ちた」という感情に支配されて、友達の幸せを心の奥底で喜べない自分が情けない。

 

「内定」「合格」がその人に肯定感を与えて、「不合格」がその人を否定しているように感じてしまうのはなぜなんでしょうか?勉強得意な人もいれば、苦手な人もいるのと同じように、就活得意な人もいれば、苦手な人もいるってだけの話じゃないんでしょうか?アピール下手な人が認められない就活なんてバカヤローだなと。

 

まあそうはいっても、まだ就活本番が始まったわけでもなく、その就活の制度に文句を言っても仕方がないわけで。まずはその制度の中で自分が満足のいくように頑張るしかありません。きっとまだ自分の中で「落ちた・受かった」っていう事実だけが評価基準になっているからダメなんだと思います。「果たして自分は何がしたかったのか」「自分は何になりたいのか」と改めて自分に問いかけ続けることで、自分の「個性」が磨かれていくのだと思います。

 

何が「正解」で、何が「間違い」か

「人生の勝ち組」「人生の負け組」なんて言い方がありますが、そんなの他人が勝手に作った基準にすぎません。自分の中で「なりたい自分像」がハッキリしていればそれに向かってひた走るだけだし、周りの人の「なりたい自分像」を心の底から応援してあげられるようになるのかなと思います。

 

自分と他人は違う。

自分がやりたいことと他人がやりたいことは違う。

自分がなりたいものと相手のなりたいものとは違う。

 

「大手企業より、ベンチャー企業のほうがいい」

ベンチャー企業より大手企業のほうが安心できる」

「なりたい自分像」に近づけるのであればどちらも正解。

 

「自分は落ちたけど、あの人は受かった」

受かった人にとってはその企業が正解だったのかもしれないし、落ちた人にとってもその会社ではなく、ほかの企業で働くことが正解だったのかもしれない。

 

唯一の「間違い」は「単一の物差しで相手を評価してしまう」ことかもしれません。

「あの人の考え方は(自分と合わないから)間違っている」

「その企業はブラック企業(だと自分は思っているの)で、そんなところで働くのは間違っている」

 

 

 

どう生きていくのか、どう働いていくのか、は人それぞれで、唯一絶対の基準なんて決めようがないはずなのに、「勝ち組 / 負け組」「金持ち / 貧乏」などといった基準で人を評価してしまうのはバカバカしいなと思います。

 

まとめ

話がゴチャゴチャしてしまいましたが、まとめるとこういうこと!

 

自分と他人は違う。

その人それぞれの個性があって、その個性が活きる場所がある。

まずは自分の「個性」を見つけて、それを最大限伸ばしていく。

そのうえで、ほかの人を自分の勝手な「物差し」を通してみるんじゃなくて、自分とは違う、その人の「個性」を認めよう。

就活に「勝ち/負け」なんてものはなくて、その人の個性にあった場所で生きていくことが、他人ではなく、自分が決める「正解」なのかも、

 

っていうのが今回僕が思ったことでした。

 

あまりまとまりのない記事になってしまいました・・・。

次回はもうちょっと具体性のあること書きますね。笑 

ではでは。

 

 

かとけい