ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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2016年留学前半を振り返る。

マレーシアからこんにちは、かとけいです。あけましておめでとうございます。

今年も何卒よろしくお願いします!

2017年一発目の記事は2016年の振り返りと2017年の目標について書きたいと思います。


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ひたすら自分と戦った2016年。

2016年を一言で表すと「模索」の一年でした。とにかく色々なことに手を出しました。

留学渡航以前にはトビタテ留学JAPANに応募したり、授業のTAをしたり、サークルで外部の方向けにプレゼン発表をしたり。

留学が始まってすぐはトラブル続きでした。留学して1ヶ月でビザを取りに日本に戻ることになり、授業の教室がどこか全くわからず迷いまくったり。しかも気づけばフィリピンのルームメイト4人とルームシェアをすることになっていました。笑 本当に精神的にキツイことも数え切れないほどありました。

 

授業で勇気を出して手を上げても全然伝わらなかったり、聞き返されまくったり、苦笑いされたり。今だってぶっちゃけ英語が全然ペラペラ喋れるわけじゃありません。

簡単なことは言えるけど、ちょっと複雑なことを言おうとするとすぐ詰まるし、相手の言ったことがわからないこともしばしば。

 

でも何事も「慣れ」と言うものがあって、英語を間違えること、失敗することに徐々に耐性がついていきます。

ボソボソ声で早口で不明瞭な英語で話すくらいなら、わざとすぎるくらいゆっくりで大きな声で発音したほうが百倍いいし、自身を持って話せる。

全然ペラペラじゃないけど、それの何が悪いと。僕は発音がお世辞にもいいとは言えないし、ネイティブのような気の利いた表現が使えません。

今ある英語力で何とかこなしていかなけばならない。「サバイバル英語」と言うとあまりいい響きには聞こえませんが、このサバイバルする力をつけるプロセスがミソな気がします。

 

英語力がなくたって。



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前にも書きましたが、大学でいい成績を残そうと思ったら英語力だけではだめだと思います。

特に自分のような英語が得意でない留学生はプレゼンの構成であったり、デザインと言った別の面に凝って「わかりやすいプレゼン」をする力であったり、単語であったりロジックの面で直感的にわかりやすい表現を使ったりする力が必要。

 

あまり大きな声では言えませんが、他の国の留学生のプレゼンは内容は凝ったものは多くありますが、デザイン的に見やすくなかったり(ひたすら文字の羅列とか笑)するものが結構あります。笑(これは性格的なものなのか、こちらの風習なのかわかりませんが笑)

 

でもやっぱり英語力の面ではダントツで一番クラスの中で低いことは明らかで、授業の中では完全にポンコツだと思われてました。

ポンコツならポンコツなりに英語力は低くてもクラスの中で一番わかりやすいプレゼンを作ってやろうと一念発起し、なんとプレゼンは留学生の中で一番に選ばれました。

完全に英語力の面ではダントツにドベだった自分でも、やり方次第ではうまく行く。このときはプレゼンが一番最後の週で準備する時間もたっぷり与えられていたという幸運も重なり、一番になることができました。

 

それまでは何だか授業を受けていても何だかどんよりとした気持ちが積もっていって授業に集中できない日もありましたが、初めてこうやって良い評価を受けてなんだか目の前がぱっと開けたような気がしました。

英語力がなくても何とかなることがわかったのと同時に、やっぱり何か一つのプレゼン、文章を作る作業に没頭している時間は楽しく、それをやり終えたときの達成感はこの上ないものがあると思いました。

 

弱い自分と戦う。強みを見つける。楽しみを見出す。

ああ、一生懸命作ってよかったな、またこういうふうに何かアイデアを考えて、それを一つの形にしてみたいなと。

大勢の人の前で盛り上がったり、人と仲良くなったりするのには時間がかかるし、そういう場に出るとどっと疲れが押し寄せてしまう、超内向的な自分ですが、そんな内向的な自分だからこそ何か一つのものを一人でじっくり考えたりする時間が嫌いじゃない、というかむしろ好きです。笑

 

留学は言語力をつけることももちろんだけど、「自分がどんな人間かわかる」こと、これが一番のメリットだと僕は思っています。

どういうことか?日本にいる間はみんな自分たちの差異にあまり目を向けません。「自分は誰で、どこから来たのか」なんて誰も気にしません。

日本で生まれて、日本で育ち、日本語を話す人たちがほとんど。まさか初対面の人に「日本から来ました」なんていう日本人はいません。

でも一旦こうやって海外の大学で学ぶことになると、自分とは生まれたところも、話す言葉も、外見も、性格も何もかもが違う学生ばかりです。日本では当たり前に日本語でコミュニケーションを取っていたのに、全く日本語が通じない。英語も全然通じない。

他の国からの留学生は英語がペラペラだし、日本人でも英語がペラペラな子もたくさんいる。

一体自分はろくに喋れずに何しに来たのか。英語が話せなくても積極的に話しかけに行ける子もいるのに、なんで自分はそういうふうに積極的に動けないのか、話に入っていけないのか。最初の頃はほんとに自分が嫌になりました。帰りたいと思うことも何度あったことか。

 

「なんの不自由もなく英語を操って海外の人とペラベラ英語を話す留学経験者」

そんなイメージと片言の残念な英語しか出てこない自分が乖離しすぎて「やっぱり内向的な自分は社交性が必要な留学は向いてなかったんだ、自分にはその素質がなかった」なんて思って落ち込みに落ち込みました。

 

でも今思い返してみるとむしろ自分みたいな内向的な人こそ留学すべきだと思います。明るくて、積極的で、社交的な人は間違いなく留学でうまく行くと思います。言語もメキメキ上達すると思います。

でもそうじゃない内向的な人でも何とかこうして海外でサバイバルできてます。日本では自分の気の合う間柄だけで仲良くしていた人も、こうした環境に身を置けば自分の弱い部分、逆にこれは譲れないという部分が身のうちから出てきます。

僕も自分のコミュニケーション力のなさに気づきながらも、自分には自分だけの世界があってそれは誰にも譲れないものだということがわかりました。

 

それに海外でも内向的な人もいて、僕は幸運なことにそういった友達とも仲良くできています。

もうその友達は半期の留学ということでそれぞれの国に帰ってしまうけど、本音で話し合える友達ができて良かったなぁと思います。海外の人全員が外向的ってわけでもなさそうです。

だから「自分の気の合う人1人でも2人でもいいから見つけて心の底から信頼し合える友達になる」これが日本にいたって、どこにいたって大事なことだとではないでしょうか。

もちろん外向的な人の中には「みんな合えばすぐに友達よ! 友達は沢山いたほうがいい」って人もいるので、一概には言えません。

 

でも内向的な人が無理して八方美人を振りまいて、自分がしたくないことをやるのは違うと思います。僕はクリスマスにみんなとクラブに行って、あまりの騒音と人の多さと何とも言えない皆のテンションについていけず、ソファーで一時休憩を余儀なくされました。笑

クラブも多分お酒が好きで、みんなと盛り上がるのが好きな人には良いと思いますが、僕のような静かな場所が好きな人には向いてません。

とは言え、海外に留学していれば一度は行くことになるだろうと覚悟したので、なるほど、こんな世界があるのかと言うことがわかっただけ貴重な経験でした。

 

話にまとまりがなくなってしまったので、無理やりまとめると

 

●英語力はなくたって留学はなんとかなる

●留学で「丸裸の自分」になって、自分の弱み、強みを知る

●内向的な人でも留学は学ぶことが多い。海外にも内向的な人はいるよ!

といったことを知れた2016年でした。

 

もちろん「いやいや留学は海外の友達をできるだけたくさん作って、英語力に磨きをかけることが一番でしょ」という声もある、というか大多数だと思いますが、こういった自分のような内向的な人も留学を満喫してるよ!ということを知っていただければなぁと思います。

 

 

2017年のスローガン 『究』(きわめる)

2016年の振り返りはこの辺にして2017年の目標について。

2017年はズバリ『究める』年にしたいと思います。

2016年は『模索』の年だったと書きましたが、2017年は『探究』『追究』をする一年になればなぁと。

意味的にはさほど変わりませんが、自分のイメージの中ではもっとフォーカスを絞って自分のしたいことを探して、究めるつもりでいます。

2016年のエントリーではしきりに「自分のしたいことをする」と書いていましたが、自分のやりたいことだけやって生活できるなんて甘ったれた考え方というのは重々承知です。自分のしたいことをやり抜くためにはそれを「究める」必要があります。とにかく時間を作って没頭する。面白い記事を一つでも多く書く。自分の英語力を高めて、もっと視野を広げて、視座を高くする。

 

「書く」こと、「考える」こと、「作る」ことそのものは好きですが、それを人との競争の中で考えたときに自分はまだまだ全然その分野ではスタートラインにも立っていません。

 

就活の中で自分のこれまでやってきたことをどう活かせるのか。その会社はどんなことをしていて、自分はどう貢献できるのか。そもそも就活というレールに乗るのか、そのレールから外れて別の道を探すのか。まだまだ分からないことだらけですが自分のペースで探していけたらいいなと思います。

 

とにかく今は限られた時間の中で、今できることを究める。

具体的に言えば

「ブログをできるだけ多く更新して文章力を上げること」

「授業でA+を取ること」

「スピーキング力をもっと上げるために音読、会話の機会を増やすこと」

TOEFLで100点を取ること、TOEICで900点を取ること

の4つです。内向的とは言ってもそれを英語ができない言い訳にしたくないなぁと。もちろん、ここでしかできない経験をできるだけ多くして、それを文章にして残しておければと思っています。2017年が終わったときにどれだけ目標を達成できているかわかりませんが、そこに近づけるように切磋琢磨してければなぁと思う今日この頃です。

英語レポートを短時間で質のいいものにするためのコツを考えてみる

 

マレーシアからこんにちは、かとけいです。
前回お伝えした通り、やっと地獄の英語レポート三昧が終わりました。


結局全部で15000words近く書くことになり、しかもそれを2週間で仕上げなければならないという超修羅場。
あーこうしとけばよかったなぁという後悔も含め、今回は何点かレポートを書く上でのコツを見つけたので今回はそれを紹介します

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①精巧なプロットを作る


プロットはいわばレポートを書く上での「設計図」みたいなものです。このレポートの設計がレポート作成の7割くらいを占めていると言っても過言ではありません。

プロットを作る手順としては以下の通り。


①まずはgoogleでキーワードを検索して、全体を俯瞰してみる
②気になったトピックについてより深く調べる
③それに関する論文をいくつか読む
④「問い」「予想される回答」「論拠」をそれぞれ考えてみる
⑤それをもとに章立てを作る

 

言ってみたら当たり前のことなんだけど、③あたりが割と抜かされがちです。実際今回③をあまりしなかったために大失敗しました。笑

 

②の段階でだいたい自分の調べたことの中でレポートとして書けそうなテーマが見えてきて、だいたいこんな感じで描き進められるだろうというある程度の「見通し」ができます。


ただこの「見通し」だけでプロットを作ってしまうと、その「見通し」が間違っていた時に大変なことになります。

 

「自分の主張したいことをサポートする論文ねぇぇぇぇぇー」状態に陥ります。それもそのはず。だってそのレポートの議論自体が間違っているから。もうこうなったら無理やりでっち上げの理由を作って、レポートを書き上げてしまいましょう。

 

見事にうんこレポートの完成です。
論理の一貫性もなく、その論理を支える論拠もなんか胡散臭い。これぞTHEうんこレポートです。

 

だからこそ③の論文の読み込みが必要で、ここで自分がしたい議論が本当にできそうか、確かそうか見極める必要があります。もし無理そうなら修正を加えなければなりません。

とにかく「レポート書くぞおおおお」と猪突猛進すると痛い目見ます。
石橋は叩いて渡れ。気をつけましょう。

 

 

②英作文ではなく、「英借文」

 

プロットが出来上がったら早速書いてみましょう。いいプロットがこの時点で出来上がっているなら後はそれに肉付けしていくだけ。それほどもう躓くことはないでしょう。後は以下に滑らかな英文を書けるか。

 

滑らかな英文を書くためにはネイティブの英文を真似るほかない。というわけで「英借文」です。

 

引用ではありません。文字通り、英語の型を真似て書くのです。「え、それ剽窃じゃないの??」いやいや、そのまま書き写すんじゃなくて、これいいなと思った文章を頭にストックしておくということです。

 

例えば
"The 20th century saw the wave of internationalization of tourism"
(20世紀は観光業の国際化の時代であった)
という文章をストックしておけば

 

"The 21st century saw one of the biggest EU enlargement"
(21世紀はEUの最大規模の拡大の時代であった)

といった風に書けます。
(間違ってたら修正お願いします汗)

 

とにかくこの英語のストックを増やしていく子ことで日本語を無理やり訳したような不自然な表現が減り、より読み手が読みやすく、内容に集中して読むことが可能になります。

 

これも先ほど書いた③の論文読み込みの段階でやってしまいましょう。論文2、3個を読み込んでそこで自分が気に入った表現は単語単位ではなく、できればセンテンス単位でマークしておく、書き写しておきましょう。


こうすることで英語ならではの書き方、文章の切れるリズムが身につくと思います。

 

 

③早めに書いて、何回もリライトする


これもマストです。さっさと第一稿を書き上げてしまいましょう。それからが勝負です。おそらくそのままではまだうんこレポートです。自分より英語が得意な人、ライティングアドバイザー、先生とにかくいろんな人に見てもらうことでレポートの表現、論理展開が洗練されていくのではないでしょうか。

 

④何はあれ、時間をたっぷり取る


①から③まで色々と書いてきましたが、まずはじっくり腰を落ち着けてレポートに取り組める時間を増やすことが大切。時間の余裕がないと、レポートの穴を埋める時間もそれだけ少なくなります。前の日にいいと思っていたレポートが次の日に見たらダメダメだったというのはよくある話で、むしろ何日か寝かしてからまた書き始めた方がいいレポートができると経験則上思うですがいかがでしょうか。

今回はこの時間が足りなかったのもあって、うんこレポートを量産してしまいました。笑
反省です、、、。 

 

 

今日のまとめ


まだまだ挙げればキリがないですが、主な4つを挙げてみました。
①精巧なプロット(設計図)を作る
②「英借文」をする
③早めに書き上げてリライトしまくる
④とにかく時間に余裕を持つ


また何か新しい発見があれば、投稿します!
それでは!

 

 

「君の名は。」を今更ながら分析してみたよ①

(かなりの「君の名は。」のネタバレ含みますのでご注意ください笑)

 

やっと、やっと「君の名は。」を見てきました。笑

今更かよ、って感じですが、マレーシアでの公開は12月初旬からということだったので、早速レポートが終わるや否や見てきました。

 

感想・・・

めっちゃ面白い!!!!

面白すぎて2回見に行ってしまいました。正直一回目では感情描写などの点で理解しきれないところが多かったので2回見に行って正解でした。

2回目はほかの人に泣いてるのを見られたくないという理由で、一人映画 at Malaysia キメてきました。両隣の見知らぬマレーシア人たちと3人で号泣するっていう。笑

実際に涙を流しているかはそんなに確認してないんですが、両隣からティッシュで鼻をズオォォってかむ音が聞こえたので間違いないです。

 

で、最近はちょっとブログが更新できずにいて、再開しょっぱなからシリアスな投稿をするのもアレなので、息抜きがてら「君の名は。」を自分なりに解釈してみました。

 

新海作品の集大成、最高傑作

今回の映画、新海誠監督の過去作品の設定が結構この作品でも反映されています。

これはたまたまではなくて、新海監督が意図的にそうしているようです、

以下、新海監督のコメントの引用です。

「僕の作品を昔から見てくれている人に何かサービスのようなものを届けたかった。今回は監督の名前を知らないような人たちに作品を届けたいと思ったが、昔から僕の作品を見てくれている方に「俺はこれを知ってるんだ。」と思ってもらえる箇所も何箇所か入れたかったんです。」

確かに新海監督の過去作品を見ている方にとってはニヤリとなるシーンが何か所もちりばめられていました。

有名なのは、三葉が通う学校の古典の先生、ユキちゃん先生。前作の「言の葉の庭」のヒロインの「ユキノ先生」とそっくり、というか、本人です。笑 声優も花澤香菜さんで同じだし。

それに終盤の三葉と瀧くんがすれ違うシーンも「秒速5センチメートル」のラストシーンを彷彿とさせます。秒速を見られた方はこのシーンで結構胸が締め付けられたのではないでしょうか。笑 

隕石であったり、天体に関するエピソードは「ほしのこえ」でも「秒速5センチメートル」の第二章「コスモナウト」でも出てきました。

あと、個人的に思うのですが、瀧が絵をかくのが好きなのは「言の葉の庭」の主人公も家で絵(設計図)を書いていたような・・・。

とにかく、「あれこのシーンどこかで・・・」と何度も思わされる作品でした。

 

瀧君の描写少なくない・・・?

その他の内容についてはいろいろなブログで触れられていますが、その中の批判として「瀧君に関する描写が少なくて、感情移入ができない」みたいなことが結構書かれています。

 

確かに瀧君がイマイチどんな性格なのかがイマイチつかみきれないなあと思ったのですが、むしろこれは「個性のないキャラクター」を描いているような気もしました。

 

劇中の描写からは特に彼がこれといったこだわりを持って生きているわけでもなく、深い悩みがあるわけでもなく、父親との2人暮らしについてもそれほど深く考えているわけでもない。なんというか彼の行動の軸がこの映画からは見て取れない。彼の深層心理にある「なにか」が一体何なのかまったくわからないまま映画が終わる。

 

確かにそう、確かにそうなんだけど、ある意味これが「普通の高校生」の姿なんじゃないかなと。アニメでは「過去にトラウマを抱えていた少年」「非行少年に見えながらも実は良いヤツ」みたいなわかりやすいキャラが描かれる傾向にあるかなと思います。それを見ている側にとってもキャラの輪郭がはっきりしていたほうが感情移入しやすい。

 

でも現実にこんなわかりやすい「ステレオタイプ化」されたキャラクターはそうそう存在しておらず、むしろ瀧君みたいな「普通な」人のほうが多いのではと思います。

 

「ステレオタイプ化」が非現実感を生む。「普通さ」が実存感を生む。

別に深い悩みはないし、目指すべき大きな目標も対して持っていない。毎日をなんとなーく生きている。それが本当の「高校生」像なのではないでしょうか。

その行動は矛盾に満ちていて、一貫した(ステレオタイプ的な)「キャラクター」というものがない。

日本社会においては特に「個性」といったものは押し殺され、個としての目立たなさが社会の「普通さ」に貢献しています。瀧君もまさにその一人で、他人の輪を乱すこともなく、その「普通さ」を生む構成員としての役割を果たしています。

この「キャラクターのなさ」が私たちにとって当たり前であり、日常です。そこに私たちは「リアル」を感じるのではないでしょうか。

だからこそ、私たちはこの話全体をリアルなものとして錯覚し、「入れ替わり」という非日常すらリアルなものとして錯覚してしまうのではないでしょうか。

 

付け加えれば、この「入れ替わり」は「夢」という私たちが体験しうる出来事として組み込まれている点で「私たちも実は夢の中でほかの人の人生を生きているのでは」という期待を抱かせてくれます。つまり私たちはこの非日常的な「入れ替わり」にすら一定のリアルを感じているのです。

 

もし瀧君が「アニメ」に生きる「キャラクター」の一人だったら・・・

もしこれで瀧君が強烈な個性、壮大なバックグラウンドを持ったキャラクターだったとしたらこの感動的な話は生まれなかったと思います。その妙に不自然なキャラクターの「わかりやすさ」が悪目立ちし、その上で「入れ替わり」というファンタジー要素が入ってきて、観客は全く現実感を覚えることができません。

「これは私たちの生きている世界の話ではない」そう思ってしまったら、リアルに描かれた都会、田舎、そしてリアルな日常もすべてが水の泡になり、観客にとってはただのハリボテとして不自然なものに映ってしまうのです。

 

全てがファンタジーではなく、リアルなキャラクター、リアルな風景にアンリアルな「入れ替わり」という変数が加わったからこそ、この映画により奥行きが生まれ、多くの人に共感を与えることにつながったのではないでしょうか。

 

 

 

・・・まだ書きたいことは山ほどあるのですが、長くなってしまったので、また次回に回します。それでは!

留学から帰ったらもっと謙虚に生きようと思った話。

 

どうもマレーシアからかとけいです。

最近はレポートとプレゼンに追われている毎日でございます。

気づいたら留学して3カ月が経つということで、光陰矢の如し、時間が経つのはほんとあっという間だと感じております。

クリスマスも近づきにつれ、日本の寒いクリスマスが恋しくなって来る頃で、ちょっと日本に帰りたい欲が出てきたり。

ということで今日はそんな日本に思いを馳せながら、「帰国したらこんな風になりたい」という妄想をしてみます。(まだまだ帰国日までは遠いけど笑)

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コミュ障の、コミュ障による、コミュ障のための英語コミュニケーション術10選

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毎度おなじみマレーシアからかとけいです。

 

突然ですが、みなさん自分のこと「コミュ障」だと思っていませんか?

僕は自他ともに認める立派なコミュ障でございます。笑

コミュ障というと少し誤解があるかもしれませんが、外に出て行動することより部屋で何かして過ごすほうが好きという「内向的人間」であることは間違いありません。

 

 

とはいっても、こうしてマレーシアに留学にきている以上、「外に出て」の「コミュニケーション」は必要不可欠。そうじゃないと英語力が全く上達しないし。でもやっぱり内心どこかでコミュニケーションを苦手意識を持っている、というのがコミュ障の最たる所以であります。

 

でももしかしたらこれって自分だけではないのでは?留学生の中にもコミュニケーションが苦手だと思っている方がいるのでは、と思ったので今回、こうすればもう少し留学生と話が長く続けられるんじゃ?と思ったことを、自分の経験も踏まえ書いてみたいと思います。

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マレーシア留学3カ月を振り返って・・・

マレーシアからこんにちは。かとけいです。

早いものでもうマレーシアに渡航して3カ月が経過して、12月に入りました。

3カ月を振り返って思ったことを簡単に。

 

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「文系」「理系」の区別なんていらない説。

マレーシアからかとけいです。

最近よく「留学した後は何になりたいの」って聞かれることが多いです。

で「まだ、そこまで明確には決まっていないけど、WEBとか編集に興味がある」といったその次のセリフは決まって「でも文系は専門的な知識とか実用的な技能がないから、日本では就職が難しいんだよね・・・」なんて言っている自分がいます。

 

完全に言い訳だな・・・といつも思うのですが、そもそも「文系」「理系」だから就職が云々、ってどうなんだろうなと思う今日この頃です。僕はこの「文系」「理系」という線引きで自分で自分を縛り付けているような気がしてなりません。

 

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