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「成功する留学論」をマレーシアで留学しながら真面目に考えてみる

どうもマレーシアからかとけいです。

最近今まで以上に「グローバル」だとか「英語教育」だとか「海外進出」だとか言われていますよね。

その中で「英語力を伸ばす」という観点から「留学」という選択肢を選ぶ人がたくさんいるようになってきたと思います。僕もまたその一人です。

今回は自分の留学中の気持ちの変化をベースに、「成功する留学論」なるものを考えてみようと思います。

 

 

「成功する留学論」とは

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なんでそもそもこんな記事を書こうかと思ったのか。

 

留学1、2カ月の海外での生活がまだ慣れないころにスマホで「留学 成功談」「留学 失敗」なんて検索して「なるほど、こうすれば留学はうまくいく」と納得するというのを毎日のようにやっていました。無駄な時間だったとは言わないけど、その時間でもっとやれることがあったなと。

 

調べてみると「こんな学生は英語の伸びが遅い」「こんな学生は留学に失敗する」なんて書いてあり、実に耳の痛い話もたくさんありました。笑

 

でも今、こうしてふと振り返ってみたときに思うこと。

留学の成功、失敗ってそんな簡単に決めれるのかと。

一体何をもって「成功」「失敗」とするのか。

きっと僕も含め、こうした「成功する留学論」に惑わされてんじゃないかと。

僕はなかなかのひねくれ者なのでこんな風に考えたわけです。笑

てなわけで今回は僕なりに考える「成功する留学論」を考えます。

 

 

「成功した留学」「失敗した留学」って何よ?

よく留学経験のある方が英語を流ちょうにしゃべっているのを見て

「ああ、あの人は留学中でアグレッシブに行動したんだね。留学して成長したんだね。」という人がいます。きっとその留学経験のある方は英語勉強を留学中もしっかりやってこられた方に違いありません。留学して英語力を鍛えた「留学成功者」でしょう。

 

さて次の場合はどうでしょうか。

『英語はそれほど伸びなかったけれど、毎日楽しかったし、やりたいことが見つかった。』

この人は「留学成功者」でしょうか?「留学失敗者」でしょうか?

「留学して英語力が伸びてないなんて、留学失敗じゃないの??」

そう思われる方もいると思います。でもこれって「留学」を「英語」という側面からしか見てないのではないでしょうか。

 

「留学しなくても英語は自分の頑張り次第でどうにでもなる。留学では英語力向上を目標にするのではなく、その先にどうしたいのかを考えておくべき」

留学アドバイザーや留学担当の先生方が口をそろえて言われることです。

 

にもかかわらず、「留学=英語力の向上」が留学の至上命題になっていて、それが「成功する留学論」の根幹をなしている感が否めません。もちろん、留学を英語力を伸ばすための手段と考えるのはごく自然なことで、これに関して否定するつもりは毛頭ありません。しかしそれ以外の留学を「失敗」と見るべきでしょうか?

 

留学はこうあるべきという固定観念

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留学していて本当に実感することですが、世の中いろんな人がいます。性格も違えば、考えることも違い、何を好きとするか嫌いとするかも違う。

留学にきている目的も人それぞれ違います。

 

その中で僕は長いこと「英語力を伸ばす」ことを目的に頑張ってきました。

ただその先に何が待っているのかについては、留学計画の中で考えてはいたものの、どこか他人事に思っている節がありました。

だから必死に英語を勉強している自分に何か違和感を感じていました。

「将来一体どうこれが結びついていくのか」「自分は英語を学ぶのに向いていないんじゃないか」英語と真剣に向き合う中でそんな疑問が次々と生じました。

でもどこかで何が吹っ切れて、「自分の好きなようにしたらいいんじゃないか」と思うようになりました。実際今マレーシアにいながら、好きなように日本語でブログを書いています。

 

これは一種の「逃げ」なのかもしれません。英語に注げるだけの時間と熱意を使っていない自分を正当化するための逃避。

 

ただ今こうやってブログを書いている自分が一番イキイキしているし、何よりも毎日が楽しい。明日のブログのネタどうしような?なんて考えてる時間に楽しみを見出しています。そう考えだすと不思議なことに他の留学生と英語で話すことにためらいがなくなってくるし、明日のブログネタを探しに行動してみようなんて気がしてくるのです。

 

 

結局のところ留学の成功、失敗なんてものは留学したその人にしか決められないと思います。だから「こうあるべき」なんて思わないで、やりたいことをやったらいいんじゃないかと。

 

僕の場合まだ留学3カ月目で先は長いですが、「自分が本当にやりたいこと」が見つかりました。留学がこれを見つけるための一番の近道だったかはわからないけれど、苦悩をこうしてブログで綴っているうちに気づけたのは大きいなと。

 

留学は義務感ではなく、思ったままに、好きなことをすればいい

「留学したからには英語力を伸ばし、英語を使った仕事を見つけ、国際的な人にならなけばならない」そんな風に思ってる人。なければならない」という義務感でやっても何もいいことありません。

 

自分もそういう国際人になりたいと思っていた一人だけど、留学しているうちに「自分のやりたいこと、向いていること」との乖離を感じました。これは違うなと。だから自分が本当にやりたい「書く」ということを中心にして、留学の在り方を考え直そうと。

 

留学の在り方は自由。もちろん僕は交換留学できているから、勉強もおろそかにはできないけれど、それ以上に「自分のしたいこと」に正直に向き合うことに時間を割きたい。それが必ずしも「英語」を使うことでなくても、「他人から見たら取るに足らないこと」であったとしても。僕の場合は「書くこと」を仕事にしたいから、ブログをその一環として「書く」時間を大切にしたい。

 

「自分のしたいこと」が留学当初考えていたことと違うことでも構わないと思います。留学前から理想の自分像を思い浮かべて、留学中にはそれを完ぺきにこなして、それに突き進んでいける人なんて限られている。

 

もし今留学中で「英語がうまく話せない。何のための留学かわからない」と思っている方、留学しようと考えていて「留学して自分になんの足しになるかわからない」と考えている人に声を大にして言いたい。

 

やりたいことを全力でやろう。

それが留学中にしかできないことであっても、なくても。

一番ダメなのはやりたいことでもないのに、留学中だからといって仕方なくやること。

価値観を広げていくことも大事だけど、それと同時に自分のやりたいことにフォーカスを当てること。

 

へっぽこブロガーはそう思います。

当たり前のことだけど、「成功する留学論」は「英語力」にフォーカスを置きすぎて、一種の強制力みたいになってるんじゃないかと。むしろ「やりたいことが先にあって英語力をその延長線」と考えたほうがいいんじゃないのと。

 

「成功する留学論」が強制力であってはならない。

巷ではこの「成功する留学論」で「留学して英語を話せるようになった人」という理郎像であふれかえっています。

 

だから自分も「こうあらねば」と思ってしまったわけですが、個人的には「自分探しの旅」の一環として、そしてその自分に足りないものを補っていく過程としての「留学」の側面を押していきたいなと。

 

英語を流ちょうに操れて、アグレッシブに動ける人はかっこいいし、目立つ。

その一方で僕のようなシャイボーイの「自由にやったらいいんじゃないか」という声はかき消されて、「成功する留学論」なるものが生まれる。

 

果たしてその「成功する留学論」全員の声を代弁したものなの?それを一度疑ってみるべきではないでしょうか?僕のような意見は圧倒的少数かもしれませんが、もし僕と同じように「成功する留学生」像に思い悩んでいる人の参考になればと思います。