ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

MENU

パラグラフライティングが大事かもしれないと思った話。

マレーシアからこんにちは。かとけいです。

本日は朝8時から今に至るまで英語エッセイを鋭意作成しておりました。

今日の成果は1500words。休み休みだったからそこまで大量に書けたわけではないけど、今までに比べたらとんでもない量を書いている気がします。ただまだ残り9000words近くあるエッセイ。これからも一日1000wordsペースです。わーお

 

今日はもう頭も働かないので、一日ひたすら英語を書いてみて思ったことを書きます。

 

とりあえずwordを開いてガーッと英語を書き出してみる⇒全消去。

f:id:kato-KL:20161129012256p:plain

無謀ながらも、「とにかく思ったことひたすら書きゃそのうち終わるやろ!」と高をくくってカタカタ打ち出してみるも1時間で書けたのはたったの200words。しかも支離滅裂な英語。完全なる失敗。

 

といっても本当に何も考えずに書き始めたわけではなく、ちゃんと自分の頭の中では全体の論理展開を考えて、それに従ってひと段落ずつ書いていたつもりでした。

「区切りのいいところで、段落を変えて…」

この発想がまずかった。

日本語で書く論文であれば、何となく論文の全体像が頭に浮かんでいれば、ダダッと書き出して、あとは適当に修正を加えていけば自分の満足いく文章ができるので、その感覚で書いていました。

でもよくよく考えたら日本語と英語で論理展開のスタイルが違うし、これでうまくいくわけなかった。

 

「えんえきほう」「きのうほう」ってなんだ?

f:id:kato-KL:20161129013142p:plain

ロジカルシンキングとかでよく聞く帰納法」と「演繹法」。

正直最近まであまりの馴染みのある言葉ではなかったけど、この前あるプレゼンの発表会での出来事を機に意識するようになりました。

 

教授のある一言。

教授「キミのプレゼンはなんというか帰納的』だね」

ボク「なるほど、参考になります」(きのうてき????)

教授「もっと演繹的にプレゼンをしたほうがインパクトが出るし、伝わりやすい」

ボク「はあ・・なるほど」

教授「今から最初のところから演繹的に作り直してみなさい」

ボク「あの・・・すいません。『きのうてき』ってどういう意味かわかりません」

教授「」

 

教授の失笑を買いつつも、なんとか教えてもらえました。恥ずかしさも相まってこの時のことを強烈に覚えています。笑

教授はボクに「先に言いたいことを全部書いて、後から細部のところを説明して」と言っていたのです。「演繹的」に説明するとはこういうことでした。

 

 

帰納法の日本語。演繹法の英語。

「羅列された数字羅列された数字」のフリー写真素材

簡単に言えば帰納法は「理由⇒結論」

反対に演繹法は「結論⇒理由」という論理の流れをたどります。

日本語は明らかに前者が多い印象です。理由をつらつら述べた後に「詰まる話が・・・」みたいにまとめていく。一方で英語は結論が先に来ます。

 

例えば次のような場合。

Aさんも禿げた。Bさんも禿げた。私も禿げた。つまり人間は禿げるものなんだ。

これは帰納法ですね。「AさんとBさん、私のハゲ」を理由(根拠)にして「人間は禿げる」という結論を導き出しています。事実から類似点を見つけ出して、そこから結論を引き出しているとも言えます。

 

人間はいつしか禿げあがるものだ。Aさん、Bさん、私はみな人間である。だからAさんも、Bさんもハゲた。私も禿げた

悟りの境地。「人間はいつしか禿げる」という普遍的な真理(?)と「Aさん、Bさん、私は人間」という前提から「Aさん、Bさん、そして私のハゲ」という真理の裏付けを行っているわけです。

 

かなり脱線しましたが、日本語論文は理由(根拠)を先に持ってきて、後から結論をいうスタイルが大半の気がします。対して英語論文は結論をバーンと出しておいて、裏付けを後からするスタイルを好みます。

 

しかも日本語はそれほど「演繹法」「帰納法」を意識せずにフリースタイルで書いても、論理が簡単に追える気がするのは自分だけでしょうか。フワフワ書いたとしても、その文脈から意味がわかってしまうのが日本語の良さなのかもしれません。

 

英語はそうはいきません。

一文、一文が論理的につながっていないと意味不明な文章が出来上がります

わかっていてもやっぱり日本語を訳しながら書いていくとちょこちょこ論理の飛躍をしてしまうのはなぜでしょうか。

 

演繹法に従ってエッセイのテンプレ通りに書いてみる。

さて話を戻しましょう。さっきの反省を生かして、今度はテンプレ通りに書いてみます。

 

もうコッテコテのテンプレで攻めてみました。

"It is assumed that.... . There are two reasons for this. First of all, ... . Secondly, ...."

(○○ということができよう。その理由は以下の二つ。まず・・・。二つ目に・・・)

まずは結論を述べて、後から理由を一つ、二つと・・・。

 

なるほど、これは書きやすい。

ところがここでまた自分のミスに気が付きます。

これ300wordsくらいなら書けるけど、3500words全部この調子でいけるはずがない、と。また全消去です。

 

行きついたのは、パラグラフライティング。

「ノートに書き込みするノートに書き込みする」のフリー写真素材

そりゃそうです。テンプレ通りにいくなら全員そうしてるはず。

 

今度は段落単位で考えてみよう、と。

で行きついたのがこのパラグラフライティング

ひと段落に言いたいことは一つ。それを決めてあとは演繹的に説明していく

 

段落1でハゲの遺伝について述べて、段落2でハゲの後天的要因を述べるみたいな感じ。

「段落1: ハゲは遺伝によるところが大きい。(主張)ある学者によれば・・・(主張の裏ずけ)」

「段落2: ハゲは先天的要因だけでなく、(段落1との懸け橋)ハゲには後天的要因にも左右されやすい。」

 

こんな感じで段落ごとに言いたいことを決めて、肉付けしていく。

後は段落と段落のつながりをよくするように文章を決める。

結果今はこの方法を採用してエッセイを書いています。

 

まあ英語のエッセイを書きなれてる方からしたら「今更何を」と思われるかもしれませんが、ちょっと今回はこのパラグラフライティングを自分の言葉で、自分の失敗談とともに書いてみたくなってしまいました。振り返ってみたら当たり前っちゃ当たり前のことですね。笑

 

明日からもまたこの英語エッセイ地獄が続くので気づいたことがあれば書いていきます。あ、あと先週行ったペナンについてもまた書きたいと思います。

 

ではでは

 

かとけい