ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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ことばを尽くすこと。

相手に伝わる言葉で話すのは簡単なようで、難しい。

2010-12: 熱いねこは太鼓と写真が好き Hot-Cat loves congas and photos

専門性があればあるほど、そのことばで話したくなる。
それはいつもの癖で慣性的にそのことばを使ってしまう場合もあれば、
むしろ自分のほうが相手の知らないことを知っているというマウンティングで使ってしまうような場合もある。

 

カタカナ用語、専門用語で相手をやり込めるのは簡単だ。
特にIT業界・コンサル業界ではあるあるなのかもしれないが、とにかく訳のわからないカタカナ用語が触れる機会が本当に多い。

 

確かにその組織の共通言語や、専門的な技術者同士がわかり合うための言語は必要だとは思うが、あくまでそれはお互いの『スムーズな意思疎通』を目的として使われるべきものであって、相手に「え、それどういう意味?」と思われた時点で全く逆効果になっていることを忘れてはいけないと思う。

 

ただ、同じ組織・コミュニティの中にずっといると、自分のつかっていることばがどれだけ特殊なものか、他の業界の人たちに伝わらないものなのか、ということばの中立性がどんどん失われていくような気がしている。

 

だからこそ、専門職であればあるほど、その知識を外に向けて、誰にでもわかるようなことばや、かたち(動画や写真)に変換して、時には比喩なども使いながら説明することが必要だと最近切実に感じる。

 

幸運なことに、今働いている会社ではそういった自分とは全く違うバックグラウンドを持つ人と話したり、説明したりする機会が数多くある。

 

小学生、中学生、高校生、大学生、会社の同期・先輩・上司、学校の先生、都市部の大企業や地方企業で働く社会人の方々、それぞれ全く違うバックグラウンドを持つ人たち。

 

世代も働く場所も環境も全く違う人たちとコミュニケーションをとるのにはいつも苦労するけれど、それでも相手に『伝わった』という感覚が得られた時はとても充実感があるし、もっと自分のことばを磨いていきたいなと思う瞬間でもある。

 

専門性を極めることももちろん大切なことではあるけれど、それが自分をその業界に縛り付けておくための鎖にはしたくないと思う。

 

むしろ特定の専門性があるからこそ、その専門性で物事を色眼鏡をかけてみていないか、新鮮さを感じる心・柔軟に考える力を失っていないか、と自分に謙虚になり、常に誰にでもわかることばを話せるように心がけていきたいと思う。

 

なんだか陳腐な言葉で書き連ねてしまったけど、これはともすれば自分がカタカナ、専門用語大好きマウンティングおじさんになってしまう前に、戒めとして、ここに残しておきたいと思う。