ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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旅行の楽しみ方。

旅行は楽しい。

一人で行く旅行も、誰かと行く旅行も違った楽しみ方がある。

 

一人で旅行に行く場合は、目的地だけ決めて、あとはその旅路を楽しむ、

というのが好きだ。スケジュールを限界まで詰め込んでみる旅、

何も決めないで他だ彷徨う旅、いろいろなスタイルの旅行をしてみる中で

ゆとりをもって旅行する旅が好きなのだというのが暫定的な結論。

 

スケジュールを詰め込みすぎると、そのスケジュールを完遂することだけが

目的になってしまって、その場その場の偶然の出会いを楽しめない。

銚子電鉄・外川駅、ノスタルジックな港町で新旧グルメスポットを満喫 ...

セレンディピティ(=偶然の出会いに幸運をつかみ取ること)ということばがあるが、まさに旅行はその場、その時の偶然との出会いこそが醍醐味だとおもう。

 

思えば、自分のこれまでの生き方も、偶然の出会いの積み重ねだったような気がする。
もちろん計画的に事を進めたこともあるが、振り返ってみて、あの時やっておいてよかったと思うことは、だいたいその場の直感で動いたことだと思う。

 

行く目的地を仮で決めておくこと。その旅路で起こる人やものとの偶然の出会いを楽しむこと。目的地が変わってしまっても、ひるまずに、振り返らずに前を見ること。

一人旅には人生の縮図が現れる、というとちょっとおおげさかもしれないけど、
同じ場所に行くとしても、その人のにおい、ストーリーが現れるのがおもしろい。

 

誰かと一緒に行く旅行はどうだろう。

これもまた別の楽しみがある。一人でいる時よりは自分やその土地や空気感を
味わう、対話する、という時間は少なくなる。

それでも、とても月並みなことばだけれど、一緒に行った人と時間そのものを共有している感覚になれるのが好きだ。

 

旅行の日程を立てる。ドライブする。お昼ご飯を食べる。観光地を巡る。

極端な話、行先はどこでもよかったりする。何もない辺鄙な土地にいったとしても、

そこに会話が生まれて、一つのエピソードになる。

普段とは違う場所だからこそ、
お互いの知らない一面を知れるというのもある。
見ている風景、食べている食事、入るお店、お金の使い方、時間の使い方。

どれを切り取ってもその人の個性が現れる。
いちいちお互いの感覚を口に出さなくても、なんとなくわかる。

 

ということがお互いにわかっているからこそ、自分のような内向人間は
誰かと旅行するときもエネルギーがいる。でもそれは「たのしくない」わけではなく、
ただ単純に「ひとりになれる時間が必要」なだけだ。

 

どこまでいってもおひとり大好き人間なわけだが、旅行というディープな体験を通して、一緒に行く人の目線を知れたり、自分自身の社会的なふるまい方みたいなものが、研ぎ澄まされていくような、そんな感覚がある。

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こうやって、旅行について抽象的に考えていくにつれ、これから先、
もっともっとディープな旅行をしてみたいなとおもう。

旅行にいく、といってもまずどこを目指すか、何をするか、というサイコロを振るタイミングで、ひとりだとある程度出目が決まってしまう。

 

自分ひとりでもそのサイコロの選択肢を広げられるように情報のアンテナを高くしておくことも大事だが、知識を詰め込んだうえでいく、計画的な、予定調和な旅行は楽しくない。

 

自分の知らない場所、自分の知らない感覚・考え方を共有し合える人と、偶然の出会いを楽しむ旅行に出かけたい。