ホモサピエンス日誌。

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中高ガリ勉、大学またガリ勉。そして生まれたガリ勉哲学。

何で自分はこんなに不器用なのか。

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わたしは自分で言うのも憚られるくらい運動音痴だった。
だからこそ、勉強では負けたくない、という一心で学生時代は頑張ってきたのだけれど、その勉強ですら、どう頑張っても勝てない人が周りにたくさんいた。

 

スポーツもできて、勉強もそつなくこなせる人が中学や高校では羨ましかった。
そういう人が中高では人気者だったし、大学生になってからも大学デビューなんてしなくたって中高でつけた自信(?)のおかげで、やはり話題の中心にいたように思う。

わたしはというと、大学受験で勉強しすぎて(?)燃え尽きてしまったこともあり、大学一年生は本当にゴミクズのような生活を送ってしまった。授業には出ない、家に引きこもってゲーム、アニメ三昧の毎日で、単位もちらほらと落とし、なぜかこれぞ大学生とむしろ誇らしげな気持ちでいた。

 

でも大学に入ったら留学はするぞ、とそれだけはずっと大学に入る時から決めていたから、英語の勉強はコツコツやった。ただ留学するにはGPAが足りなかった。「このままだと留学できない」焦りに駆られたわたしは、またガリ勉になった。

 

ずっとガリ勉だったこともあり、ガリ勉モードになるのは早かった。ただ、なんだか努力している自分がカッコ悪かった。「努力したって、ダメなものはダメだし、それなら適当にやって、そこそこの結果を残したほうがカッコいい」と思っていた。中学、高校で勉強しても勉強しても、自分より勉強できる人がいる、という現実に直面していたこともあって、ひねくれた価値観が出来上がりつつあった。

 

だからガリ勉モードに入った、とは言いつつも影に隠れてこそこそと勉強した。
授業で携帯をいじったり、内職したり、全然授業に集中してないふりをして、
実はその授業の内容はすべて予習済みで、授業後の成績につながる質問票にはびっしりと質問を書いた。でも、友達には「いやーあの授業だるいよなー、いっつも話聞いてないわ」と謎のサボってるアピールをした。今考えるとくそダサい。

 

「エコに頑張って、結果を出すのがカッコいい」

この価値観を吹き飛ばしてくれたのは留学だった。留学したのは、通称『マレーシアの東大』といわれるマラヤ大学で、宇宙人のように頭のいい連中しかいなかった。英語もあまり話せない私は完全に落ちこぼれになった。授業では指をさされても、もごもごと訳の分からない英語を話すだけで、周りからは「あいつ大丈夫かよ…」という雰囲気がいつも漂っていた。

 

「ここで頑張らなきゃ、自分が今ここにいるアイデンティティがなくなる」
国から奨学金ももらっていたし、親にも1年留年することを許してもらい、
せっかくここまできたのに、ここで頑張れなかったら一生後悔する。


そう思った私は、またガリ勉になった。日本人と日本語で話すのすら億劫だったので、
日本人の多い留学生宿舎から飛び出し、フィリピン人学生4人とアパートを借りて、そこで英語漬けの毎日を送った。

 

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大学までのフリーシャトルで毎日大学との行き来をした。
大学が広すぎてどこに行くにも車がないと移動できなかった。

 

朝起きて授業の予習をして、授業に行き、帰り道のバスでは英語のポッドキャストを聞き、家に帰ったら夜の25時くらいまで、次の日の予習と、その日の復習。休日は、同居人のフィリピン人学生と映画を見に行った。(音声は全て英語で、字幕も中国語・マレー語だったからほとんどわからなかったけど)

 

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フィリピン人のルームメイトと、大学前での記念写真。運動神経が悪い人のジャンプだと一目見ればわかる


英語の発音が悪かったり、相手の言っていることが全然わからなくて笑われたことも、たくさんあったけれど、むしろ日本にいたら自分は「エコに頑張る」精神で英語と生半可な気持ちで向き合っていたのだろうと考えると、馬鹿にされて、なにくそと思って頑張れるくらいがちょうどよかった。

 

だんだん私は、もう他人の目など一切気にならなくなった。頑張って誰かに勝てるとか勝てないとかそんな話ではなく、もう自己満足の世界だった。そして、何より勉強することが、努力することが楽しかった。「エコに頑張る」なんて言葉はもう私には存在しておらず、時間の許す限り、自分のやるべきことに、やりたいことに時間を割こうと決めた。

 

セメスターの終わりには授業で最優秀プレゼンにも選ばれて、もう順位なんてどうでもよかったのだけれど、それでも自分の頑張りが教授に見てもらえていたのは、言葉で言い表せないほどうれしかった。

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「The sky is the limit」(物事に限界はない)

そのとき教授が自分にこんなメッセージをくれた。
自分の限界は他人との比較の中で決めるのではなく、自分では考えられないほど空高いところにしか限界はない。今でもしんどいときにはこの言葉を思い出す。

 

…留学中の10か月は本当にあっという間だった。それからというものの、長期インターンも、仕事も、とにかくやることなすこと自分が満足するまでやり切ることに決めた。別に中高と比べて、物覚えがよくなったか、要領がよくなったかといわれるとNOだけれど、自分の中での『哲学』みたいなものはガリ勉生活で育まれたと思う。

 

とにかく自分を追い込めるタフなところで頑張る。
エコに頑張らない。他人のことが気にならないくらい、わき目もふらずに没頭する。
何より自分が今やっていることを楽しみながら、やり抜く。
その中で自分のセンスを磨いていく。

 

なんだかこうやって書くと昭和のモーレツサラリーマンみたいだが、実際そうなのかもしれない。ホワイトに働く、なんて1mmも考えたことないし、ワークとライフがバランスなんてしてない。わたしにとっては、勉強も、仕事もワークであり、ライフで、別に仕事でなくても、趣味でも、勉強でも、突き詰めてやることがライフを充実させるためには大事だと思っている。

 

いざこうやって書いてみると留学の時の熱がまたよみがえってくる。
今の自分は、あの時の自分に恥じないくらい、ガリ勉か。

だいぶ暑苦しい文章になってしまったけれど、たまにはこうやって昔のことを思い出してみるのもいいなと思った。また明日からもガンバロウ。