ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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チンパンジー型競争社会に思うこと。

チンパンジーボノボ、オランウータン、ゴリラ。

…わたしはチンパンジーだった。

研究用チンパンジーはデジタルベースに | Nature ダイジェスト ...

自分がどの類人猿に近いかを診断してくれる自己分析ツール。

…何の話をしているかというと、自己分析ツールの一つである、類人猿診断をやってみた結果だ。この診断をやるにつけ、最近思い悩んでいることがふと頭に浮かび、その整理もかねて、今日はブログに書こうと思った。

 

まず、はじめに類人猿診断の説明をしたい。

類人猿診断は診断する人を「感情を表に出す人か否か」「成果を求めるか、安定を求めるか」の2軸で4つのタイプに分類するツールである。たった5つか、6つの質問に答えるだけで、自分のタイプを診断してくれるのでぜひやってみてほしいと思う。

http://yakan-hiko.com/gather/

 

わたしの診断結果である「チンパンジー」は以下のような特徴がある。
・リーダーシップを取りたい

・勝ち負けをはっきりさせて、自分がその競争の中で勝ちたいと思う

・思い立ったら即行動

…これは少し意外な診断結果だったが、当てはまる節がないわけでもない…。
競争の中で勝ちたい、結果を出したい、というのはここ数年で自分の体験の中で
強化されてきた部分で、何かやるからには結果を出したい、というところから転じて、
「競争するなら、良い結果を収めたい」という思考が自分の中にも多少なりとも
あるだと思う。

類人猿診断を使ったキャラクター制作で ブランド共感型のコンテンツを ...

記事の後半では、このチンパンジー的性質は社会にも実装されている、というような少しマクロな見方で、いま目の前に起きていることを整理していきたい。

 

チンパンジー型』競争社会

この手の自己分析ツールはごまんとあるのだけれど、人間だけでなく生態系全体を取り巻く『競争』『弱肉競争社会』をとらまえる上で、とても面白いツールだと個人的に思った。

 

社会人1年目も終わり、2年目に入るにあたり、最近ひしひしと感じることは「会社という器に属する以上、『競争』は避けられない」ということだ。何を今更、という感じだが、実際社会人になるまではそこまで意識しなかったことが、今になって残酷な現実として目の前に突き付けられているような、そんな感覚にある。

 

少し生々しい話になるが、自分の仕事の成果がどのくらいか、同期・先輩含め全員が同じ物差しの上に並べられ、誰が誰より成果を出しているか、それが評価につながるという人事評価制度の上で、自分が測られる立場になり、戦々恐々としている。

 

先述したとおり、わたしはこのような競争は嫌いではない…らしい…。

「らしい」と書いたのは、自意識の上では、「競争は好きではない」と思っていて、特に競争なく生きていけるなら、そう生きていたい。ただ、今働いている自分を客観視したときに、少なからず他人と比較している自分がいるわけで、画一的な物差しで自分の立ち位置を測りたくなる、チンパンジーな自分がいることも否定できない。

 

…ただ、これは程度の問題こそあれ、誰もがチンパンジー的DNAは持ち合わせているのではないかと個人的に思う。特に自分が競争の真っただ中に曝されるような場面では、チンパンジー的な側面が発露しやすく、お互いがお互いの『順位』を意識せざるを得なくなってしまうのだと思う。

 

「競争」には、デメリットだけがあるだけではない。お互いが同じ物差しの中で切磋琢磨し合うというスキルの向上がみられる、というメリットもある。特に、経営者、管理職の立場に立った際に、従業員の働く意欲を刺激し、それぞれの働く動機付けを行えるという意味において、とても合理的なシステムである。

 

『生き残り』(別に負けても死ぬわけではないが)をかけた競争では「一番になりたい」「一番下にはなりたくない」と本能的に思うわけで、それが働く意欲をドライブさせる。管理する側としては、その構造を作りさえすれば、たえず当事者間では意識的・無意識的に競争が行われ、その結果がチーム、ひいては会社の業績にも正のフィードバックを与える、ということだろう。

 

このような競争社会において、チンパンジー的性質が強く出る人は、ある程度厳しい競争にさらされても、そのマッチョな精神力と行動力で生き残れるのかもしれないし、なんなら、自分の能力を証明するためにも、さらなる競争に飛び込んでいく勇敢さがあるかもしれない。ただ、ピラミッド型の組織において、誰もが競争の末に、そのピラミッドの頂点にいけるわけではない。

 

…ということを考えるにつけ、最近、自分が本当にこの競争社会において、そのチンパンジー的獰猛さを発現させて闘えるか、あるいは闘いたいか、ということがとても疑問に思えてきた。

 

 

自分はそこまで獰猛にはなり切れない。というか、それを追い求めて、最後に残るのは空虚さではないか、と、競争に身を投じながらも、自分がどうしたらこの競争のスパイラルから抜けられるかを最近しみじみと考えてしまう。

 

(※ただちにこの競争から降りるという、白旗宣言ではない。というよりは、自分がこの競争にあと何十年も時間とエネルギーを投下できるか、というのが甚だ疑問ということだ。1年スパンでやってくる評価時期に合わせて、自分がその動き方を決める、というのは全く本質的ではないと思うし、もっと長期スパンでの方向性を探るためのノイズになりえると思う。)

 

わたしたち、チンパンジーの無意味なマウンティングから脱出するために。

別にこの競争、というのは会社の中だけで起こっているわけではなく、社会のあらゆるところに存在するものだ、ということを最近しみじみと感じる。給料、学歴、人脈、知識量、乗っている車、身に着けている服、付き合っている彼氏/彼女のスペックetc…。

 

学生時代の自分はもっとピュアに物事を考えられていた。

「やりたい事を追求するためには、やりたいことに近づけるスキル・経験を得るためには、どこで働いたらよいか」

「自分の能力が生かされ、それが最後、誰かを笑顔にできて、自分も一緒に働く人も、エンドユーザーもHappyになれる仕事は何か」

 

今でも会社はこれらの一種の理想を追求するための器、という意識には変わりはないものの、「競争」というがここまでに自分にとっての強烈な『重力』になるとは思いもしていなかった。

 

この『重力』に身を任せて、慣性的にからだを動かしていくにつれ、いつしかその重力すらも感じなくなり、競争という重力空間でトップに立つことが目的になってしまう、ということがわたしにはとてつもなく怖いことだ。

 

わたしはこの重力に打ち勝つために出した暫定的な答え。わたしは、自分で自分の『重力空間』を作ることしかないと思う。それはその重力の中で、新たなマウンティングを生むような類のものではない。むしろ他の重力空間とは断絶された、自分たちだけの世界観を作り上げることで、他の世界からのノイズを感じることなく、自分たちの目標に向かって、からだを動かしていくこと。

 

もっと手段レベルで具体的に言えば、それは会社外で自分のスキル・経験が還元できる、少人数のコミュニティや組織をつくる、参画することがひとつ。そして、もう一つは今いる重力空間の中でも、重力を意識しなくてもよい、自分だけの世界観を作れるような仕事を小さくてもいいから続けていくことだと思う。もし、自分の世界観が受け入れられない、もしくは自分がこの重力空間で必要な体の動かし方が完全にわかった、となったときがここから脱出するときだと思う。

 

ちょっと長くなったが、最近のモヤモヤを少し、言語化してみた。

 

これから先、もっと厳しい競争社会が待ち受けているかもしれない。ただその競争が有む強烈な重力空間に身を委ねすぎることなく、むしろその競争から生まれる自分のモチベーションを利用して、自分の非チンパンジー的な世界観を確立していきたい。

p.s. これって、資本主義の前提が競争なのだとすると、どうやって資本主義から脱却していくか、という話になっていくと思うのだけれど、それはまた何となく頭の整理がついてから書きたい。