ホモサピエンス日誌。

ホモサピエンスの中のホモサピエンスに告ぐ。

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留学回顧録: 意識高い系であれ。ホモサピエンスであれ。

毎度おなじみマレーシアからかとけい、といいたいところですが、私かとけいすでに飛行機の中でこのブログを書いております。(なので今日は画像挿入できないかも)

 

ついに、ついにこの時がやってきました。マレーシアに飛び立ってからはや9ヶ月ついに日本への帰国となりました。

 

今は心の中に色々な感情が渦巻いていてます。マレーシアから離れることへの寂しさ、日本での生活が始まることへの期待、迫ってきたインターンシップ、そして就職活動への不安。今の感情を一言では表せません。混沌です。

 

 

自分がブログを続けてきたのはなぜ…?

思い返せばこのブログも60記事を超え、ブログを書く事が日常生活の日課の一つになってきました。自分でも過去のエントリーを振り返って思うんですが、自分の中にはこれと言って"軸"というものがなくて、とにかく書きたいものを書きたいだけ書いてきたなと思います

 

なんでブログなんて書いてるの?と言われても正直ちゃんとした理由はいえません。もちろん前書いたように「他の留学生の気持ちを代弁できたら」とか「自分の気持ちの整理」というのも理由の一つですが、自分がブログを書きたい理由の根本的なところは「自分がそうしたい」からです。

 

書きたいから書く。

勉強したいから勉強する。

泣きたいから泣く。

僕の行動原理はいつも突発的なものでした。もう"うんこしたいからうんこする"と同レベルです。原始人なんです。ホモサピエンスなんです。ただその純粋な"気持ち"の部分に抑制的になっている自分がいたのも確かです。

 

書きたいから書く、のだけど、でもやっぱり書くにはそれなりの理由が必要だ…。

勉強したいか勉強する、のだけど、でもやっぱり何か就活とかに役に立てないとな…。

 

そんな"理由" の部分に引っ張られすぎて、行動的になれない自分がいました。

 

そんな中、他のトビタテ生や同じ交換留学の子の中には目を見張る行動力がある人がいて、そんな人に嫉妬して、だけど自分にはそれをやりたい"ちゃんとした理由"がないから、と勝手に自分に制限を設けて二の足を踏んでいる自分。情けなく思いました。

 

留学で得られたモノ。

でもそんな内向き思考な自分でも、内から働きかけてくれる人がいて。 

 

"キミのプレゼンはいつもわかりやすいし、テスト勉強はキミのプレゼンをもとに勉強したい!"

"キミの考え方は面白いね"

"ブログいつも読んでるよ!"

なんて言ってくれるマレーシアや日本の学生、先生が"自分はここにいて、ここで頑張っていいんだ"という"理由"を与えてくれました。

 

確固たる目標があって、そこに向けてひたむきに走らなければいけない、レールから外れちゃダメなんだ、なんてずっと思っていましたが、自分の人生考えてもみたら脱線だらけ。

 

高校のときは途中で部活もやめてしまうし、大学に入っても一年生、二年生のころは授業もさぼりがち。だけど留学だけはしたいなと思って、運にも恵まれてトビタテも受かり、留学をして。

 

"日本を変えたい!" "世界の貧困状況を改善したい" そんなビックな志を持った人に比べれば、自分の計画は少し地味だったからしれないし、どれだけトビタテ生として振舞えたのかもわかりません。

 

モヤモヤモヤモヤしている中でもなぜか"書く"こと、"とりとめもなく考えること"だけは好きで、気づけばブログを書いていたり、次のプレゼンでこんな発表をしようと考えて、考えて、考え抜いて。

 

純粋にそういうのが好きだったし、それで誰かに褒めてもらえることが自分のやりがいになっていたのだと思います。

 

 

意識高い系であれ。ホモサピエンスであれ。

"意識高い系", 巷にはこんな若者言葉があります。"妙に目標や志、気持ちだけは強いけど、行動がまるで伴っていない人"を揶揄した言葉です。

 

これとよく比較されることばが"意識高い人"。意識高い"系"ではなく、本当に意識が高い人。行動が伴っている人。行動にしっかりと芯が通っている人。

 

僕はこの留学で多くの"意識高い"人を見てきました。しっかりした軸を持っていて、行動でも示せる人。トビタテ生も多くがこのタイプ。

 

自分はというと、「意識高い人になりたい意識高い系」の人だったと思います。笑

 

この意識高い系には色々なタイプがあります。その一つに、やりたいことはあるけど、チャレンジするのが億劫で、ついつい行動をためらってしまう人もいるのではないでしょうか。

 

でもそんな自分を責めなくてもいいのかもしれません。意識高い系は本当に意識が高くなるための前段階

そもそもこんなことば、こんな概念作ってしまうからほんとにやりたいことですらやれなくなってしまう(自分で言っておいてあれですが)

 

うんこしたかったらうんこしたほうがいいでしょ?それと同じ。誰にもうんこしたい人にうんこさせない権利なんて持ってない。誰だってうんこするのにそれを公では言えない生きづらい世の中なんて文字通りクソです。誰にもしたいことをやらせない権利なんてもってない。人間は原始的に生きるべきなんです。

 

意識高い系の諸君。意識は高くあれ。誰かに"ちゃんとした理由"を示せなかったとしても。理屈を超えて、感情で本当にやりたい何かがあればそれでいいじゃん。理由なんて、ないよ。やりたいからやっちゃうだけ。だってホモサピエンスだもの。それが案外《賢い人》(Homo sapience)なのかもよ。

 

自分への戒め、自分への励ましです。

 

さらばマレーシア。こんにちはニッポン。

 

ニッポンでももがいて、もがいて、もがいて泥臭くやって参ります。

 

かとけい

 

 

 

P.S. これからはこれまでに読んできた本の書評についての記事や、就職活動について思うところを書いていきます。これからも自分の中に眠る「内なる言葉」と真摯に向き合いながらブログを続けようと思います。