ホモサピエンス日誌。

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僕が「努力」という言葉が大嫌いな理由。

マレーシアからこんにちは。かとけいです。

 

突然ですが皆さん「努力」という言葉、好きですか?

僕は努力している人は好きですが、努力という言葉が大嫌いです。

どういうことか。「好きなこと」「嫌いなこと」という観点で書いてみます。

 

「努力」という言葉が使われるコンテキスト

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「努力」という言葉が使われるのはどういうときなのでしょうか。

「努力」という言葉は一般的に「何かに対して人以上に頑張っている人」に対して使われる言葉だと思います。

特に勉強などは人一倍頑張っていれば「努力しているね」と言われることが多いでしょう。では次のようなケースはどうでしょうか。

一日10時間ゲームしています

さてこれは「努力」でしょうか。多くの人はこれを「ゲームを得意になるための努力」とは呼ばないでしょう。なぜか。 

「努力」という言葉が往々にして「あまり人がやりたがらない、苦痛を伴うもの」に対して使われるからです。

それとは逆に、ゲームをはじめとした「努力」を要さないものを「頑張ること」がよくないことであるように言われます。

 

ゲーム好きな僕からしたらちょっと心外です。笑

まあそれはおいといて、本当にそのような「努力」は必要なんでしょうか。

 

 

 

嫌いなことを「努力」することは長続きしない

先ほども書いたように「努力」は何かそこに精神的な苦痛というイメージを帯びています。

でも勉強好きな人にとってそれは本当に「努力」でしょうか?「勉強」をすることが苦痛なのでしょうか?

彼らが口をそろえて言うこと。

「勉強していて楽しくて仕方がない」。

 

僕にとって「考える」こと、「書く」ことは、この「楽しくて仕方ないこと」に当てはまります。だから別に大学でプレゼンを作ったり、論文を書くときに「努力」しているという感覚をあまり持ったことがありません。こうやって書くと変人みたいですが。笑

いや、というか、世間一般的に見たら普通に「変人」の定義に当てはまっていると思います。

 

だから「私は今これに対して『努力』している」と言った時点で、それが好きでないし、好きでないことだから続かない可能性が高い。

 

もう一つ例をあげましょう。「英語好きな人」は英語を「努力」して勉強しているでしょうか?「洋楽や海外ドラマを聞くのが好きで、『勉強』という感覚したことがない」という人をよく聞きます。彼らにしてみれば、これは「努力」ではないのです。

 

また「辛いけど、英語がだんだんできるようになっていく感覚が病みつきになる」というマゾヒストの人も中にはいますが、これも「努力して結果が見えてくる」ことが楽しいわけで、全体を通してみれば「楽しさ」が勝っているのではないでしょうか。

 

どちらにせよ、本人の中でそれを「努力」というよりは時間を忘れて没頭できる「趣味」に近いのではないでしょうか。

 

留学している僕の場合はこのどちらにも当てはまらないので、英語をまだまだ「努力」している人のひとりだと思います。もっと楽しまないとね。

 

「努力論、根性論」がもたらす少数派の迫害

先ほどのゲームの例に戻りますが、「努力」ということばが使われる弊害として、「努力していないことが悪いこと」であるように見られることです。

 

世間一般の「努力」の定義には当てはまらないけれど、人一倍そのことに「没頭」してその道のプロになる人がたくさんいます。ゲームも極めればプロゲーマーになれるかもしれません。悪しき「努力論、根性論」がこういった才能を潰していっているような気がしてなりません。

 

僕は決して「頑張る」ことがダメなこととは言っていません。

「才能こそがすべて」とも言っていません。

ただ「苦しんで、苦しんで苦しみ抜いた人だけが成功する」という考え方が嫌い。

「好きなことをするのにそれほど苦しまず、やり抜いてきた人」は成功できないのでしょうか。そんなわけないと思います。

 

もちろんこれは、ただ今自分のしていることを「努力していること」とみなすか、「楽しんで没頭していること」とみなすかというレベルの話です。

「好きなこと」を「仕事」にする、お金に換えるというのはまた別の次元の話でそれなりの「工夫」がいるんだとは思います。

 

この「没頭」という考え方には次の記事が参考になるかもしれません。

toyokeizai.net

 

好きなことは「努力」するのではなく、「没頭」する感覚を持つこと。

唯一努力すべきなのは「努力していることを『努力していない』と思う」ことでしょうか。つまり、辛い勉強や仕事を自分の好きなこととしてしまうことです。

 

そうすれば自分の好きなだけそれに没頭できるし、限界を決めないで済む。

 

「努力した時間」ゼロ時間を目指す

そんな簡単に嫌いなことを好きになることはできません。

だから好きなことの中にそれを組み込んでしまえばいいんじゃないだろうか。

最近僕が考えることです。

 

僕は英語が特段好きでも得意でも何でもありません。

だから「考える」「書く」という好きなことをする時間の中に「英語」という要素を放り込んでしまえばいいんじゃないかなと。

「英語で情報を仕入れて、その内容を頭で『考えて』ブログで『書いてみる』」

これができて「努力した時間」ゼロにできればベストだなと。

まだ構想段階ですが。笑

 

あとは自己暗示ですかね。

僕の場合で言えば、「あんまり好きじゃないけど、ブログの話の足しになるしかいいかな」と。

 

何よりもこう考えていけば、ストレスフリーに生きれること間違いなしです。

「努力」を口に出すのではなく、他人になんと言われようが自分の好きなことに「没頭」する。僕も「行動するブロガー」としてマレーシアで生きていくことに没頭してみようと思います。